端的に言えば毒親で、わかりやすく言えばそこからの脱却/自己解放の物語。詐欺と泥棒でしか生きてこなかった主人公が自分の絶対的な存在である両親を疑うことから始まる。でも人とうまく付き合っていくことができない。理解できない。気づけない。そういう不器用さと言って片付けてしまうのは酷ではあるが、複雑性を帯びた主人公がすこしずつ自分を取り戻していく。

「君とボクの虹色の世界」「ザ・フューチャー」のミランダ・ジュライが監督・脚本を手がけ、詐欺師の両親に育てられた娘がある女性との出会いをきっかけに自分の人生を見つめ直す姿を描いたコメディドラマ。詐欺で生計を立てるテレサとロバートの一人娘オールド・ドリオは、幼い頃から詐欺やスリ、盗みの技術を叩き込まれてきた。彼女にとって両親は絶対的な存在であり、詐欺師としての人生を当然のように受け入れてきた。そんなある日、両親は偶然知り合った女性メラニーと意気投合し、詐欺の仲間に引き入れる。メラニーと一緒に仕事をするうち、ドリオは自身の生き方に疑問を抱くようになっていく。「アクロス・ザ・ユニバース」のエバン・レイチェル・ウッドが主演を務め、ドリオの両親を「シェイプ・オブ・ウォーター」のリチャード・ジェンキンスと「愛と青春の旅だち」のデブラ・ウィンガー、メラニーを「ミス・リベンジ」のジーナ・ロドリゲスが演じた。

盗みはそれなりにできるが決して頭のいい両親ではなく(だからこそ盗みでしか生計を立てることができなくなっているのだが)そこにメラニーという女性が入り込むことで家族観にひびが入ってしまう。これは見方を変えれば余計なお世話であり、第三者の介入によって崩壊する家族問題にも繋がっている。格差社会、貧困問題とも直結しているが、そこを深堀するのではなくあくまで主人公の内面の物語。新しい登場人物、地震、妊娠セミナー、といった外的な影響によって死生観から人生観までを揺るがされ、正解とも不正解ともつかないような回答で前進したりしなかったり。

部屋からあふれ出す工場からの謎の泡は、毎日その場しのぎのようにバケツで掬うことで部屋が泡まみれにならずに済んでいるが、根本の解決になっていない。その様は主人公家族の生きざまそのものだ。原題の「カジリオネア」は億万長者を超える超大金持ちを指す造語だが、彼らはそれを目指そうとはしていないように思う。とはいえ現状に満足している様はないし、一攫千金を夢見ている節もある。

サイズの合わない服をき、低い声でぼそぼそと辛気臭く話す主人公を演じるエバン・レイチェル・ウッドは素晴らしく、心動かされる。同時に両親のクソっぷりは圧巻であることも併記しておく。