人に言えない秘密、とか、その人が抱える闇、というのは映画のテーマとしては扱いやすい。扱いやすいけど演じにくい。狂人を演じるのは簡単だけど、心の闇を抱えたまま平常心を装ったり、誰にも明かさないどころか本人も自覚しないで悪魔を住まわせているような人を演じるのは難しい。安っぽい連ドラでダンスグループのボーカルがなんとなくでやってみたような演技では到底務まらない。

妻夫木聡と満島ひかりの共演で、第135回直木賞の候補になった貫井徳郎の小説「愚行録」を映画化。羨望や嫉妬、駆け引きなど、誰もが日常的に積み重ねている「愚行」が複雑に絡み合っていく様を描いたミステリーを描く。ロマン・ポランスキーらを輩出したポーランド国立映画大学で演出を学び、短編作品を中心に活動してきた石川慶監督がメガホンをとり、長編監督デビュー。脚本を、「松ヶ根乱射事件」「マイ・バック・ページ」などを手がけた向井康介が担当した。ある時、エリートサラリーマンの一家が殺害され、世間を震撼させる。犯人が見つからないまま1年が過ぎ、改めて事件を追おうと決意した週刊誌記者の田中は取材を始める。関係者へのインタビューを通して、被害者一家や証言者自身の思いがけない実像が明らかになっていき、事件の真相が浮かび上がってくる。主人公の田中役を妻夫木が演じ、田中の妹・光子を満島が演じる。

この映画の妻夫木聡と満島ひかりはまさにその心の闇を抱えた兄妹を演じる。この二人をセットで観るのは個人的には「悪人」ぶり。あの映画でも妻夫木と満島の暗い演技が光った。というか怪物的な演技であれ以来妻夫木のことは全面的に信用している。彼は裏切らない。本当に才能豊かな俳優だと思う。一番そう思えたのは冒頭のバスのシーン。あんなに普通の人たちに紛れてたたずめる妻夫木のオーラの出し引きの自由さ。逆に満島ひかりは立っているだけですべてを物語るかのようなたたずまい。対照的な二人なのに二人とも同じ秘密を抱えている。それが妹の暴露と兄の行動の二面から浮き彫りにしている。映像もこだわりが強く、直接的な表現を少なくして音楽と美術的な見せ方で私たちにそれらを伝えてくる。う~んまさに”愚行録”。ラストでハッと息をのんで、良い映画だったとエンディングで噛み締める。最近洋画が多かったのでこういう邦画も大好きだったことを思い出させてくれる。
それぞれの人の仕草も効果的に使っているこの映画。例えば殺された田向の同僚の人はもらった名刺を目の前でビールの下敷きにする。妻夫木はそれをみつめるが彼は一向に気付かない。ここから彼の無頓着さが分かる。とても小説的な描き方だ。こういった仕草からわかる彼らの真実と嘘をよみとくのもひとつの楽しみ方だろう。私も全て理解したつもりもないが、そういったところに目をつけて見直してみると面白い発見があるかもしれない。

ポピュラー音楽は(当然)使われていないのだが、とても印象的だった。もう少しあっても個人としては楽しめたのになあと感じた部分もあるくらい。

愚行録とはだれのことを指すのか。私たちの観た愚行録は彼らのすべてなんだろうか。最後のオチで納得してしまったけどそれって本当なんだろうか。本当なんだろう。でも全部が主観でおおわれている。事実は妻夫木が確実にやったことくらい。本当なんだろうけどつい勘ぐってしまう。勘ぐる映画でもないのかなと思い直す。
基本的に時系列に沿って進むし、ひとりずつ語り手が変わっていくのでこの手の映画の割には話の筋がつかみやすいと思うので、謎解き系が苦手と言う人でもぜひみてほしい。