私ですらたまに「〇〇のことにはすぐ研究するのに△△のことはだんまりなんですね」というご指摘を頂くことがある。まったくもってくそったれな意見だなと怒り心頭になる。

怒り心頭にはなるが、実際言及しなかったことは事実でもある。目の前の窃盗事件には怒ってみせ、遠い国の虐殺にはダンマリを決め込む。ダンマリなんて決め込んだつもりはなくても、他者から見れば発言していない事実をどう捻じ曲げようと自由なわけで、それを「言わないと決めてあえてスルーしている」と嫌なように受け取られることもまあ予想はできる事態だ。

こんな何の影響力もない一般人にもたった一本とはいえ矢尻に炎をくべた矢が放たれるのだから、有名人はもっともっとたくさんの矢が降り注いでいるに違いない。なんてことは数年前から感じていた。

だから、有名人は何を言及するかに気を付けた方がいいかもしれない。それは今から私も同じように矢を放ってみようと思うからだ。

近年、すっかりアーティストがSNSを利用して私的な内容をポストすることが当たり前になったが、その投稿は時に怒りに満ちたものもある。それはパパラッチに対する怒りだったり、マナーの悪いファンだったり。

当然自分たちのライブでそのような荒らし的な行為やルール違反、マナー違反、迷惑行為を行う人たちがでたら悲しいだろうし辛いだろう。そして自分たちが発信してそれをやめるように促さなければならない。それも至極当然である。

ただ、わたしには映る。それが、いつも”自分事”の時のみだと。その投稿が物議をかもし、賛否を呼ぶ内容となったりして、ニュースにも取り上げられたりする。でも私が見かけるのはいつも自分たちが被害を被っているときばかりだ。ダイブ禁止のライブでダイブしたとかしていないとか。写真撮影禁止でカメラを向けたとか向けてないとか。コロナ禍ではマスク着用か非着用か、声出ししたとかしていないとか、そういうことに関してはすぐにメッセージを出す。それはいつだって自分たちに不利益の可能性があるからだ。じゃあ今起こっている世の中に何かアクションを起こすこともなければ言及もしない。男も女も関係ない、みんな平等だ、平和だ、と叫ぶ割には男尊女卑を厭わない。しっかり染みついたそのマチズモには一切自己批判の目を向けようともしない。そして自分たちの周りをイエスマンで固め、より強固なシーンを作り上げていく。私にはそんな風に映る。

何かを問題提起している風に発信しているバンドマンを今日も見かける。そして、いくつになったらこの人たちは次のステージに行くんだろうと飽き飽きする。

その怒りはよくわかるしそこをしっかりクリーンにしたい気持ちに何一つ偽りもないのもわかる。そしてそれが正しいことも知っている。だからこそ、もう少し視野広げられないのかな、なんて思う。

ある”何か”に言及し続けるだけっていうのも、それはそれでどうなんだろう、とか思っている。