ノーバン始球式とAV女優
野球の始球式において女優やアイドル、モデルといった美人が行った時の見出しが「ノーバン投球」とつけられるのは、「ノーバン(ノーバウンドの意味)」と「ノーパン(ノーパンツ、下着を着用していないという意味)」の勘違いを読者にさせるためだ。今となっては定番化されて本気で見間違う人もおらず、ある意味ひとつの定型見出しになっているのだが、根底には男性のスケベ心を狙った勘違いを誘発しようという魂胆がある。
あるいはテレビや雑誌などから新たに女優やタレントが人気になると、それに呼応してAV女優も似たような名前が出てくる。橋本環奈が登場すれば橋本性が増えるし、ヘタすれば姓名共に非常に似通った女優も登場する。それも男性が作品を探すときに本物の女優と勘違いさせるための作戦である。こうやってどんどんと刺激的で似たようなものが増えていく。無名な女優ほどその傾向にある。最近は水卜麻美アナウンサーにあやかった水卜さくらという女優も出てきている。
こうした勘違いを誘う方法は昔からよく採用されてきた。人はなぜ勘違いしてしまうのか。それは「あわよくば」の精神が見え隠れしている。「そんなわけないだろうけど”あわよくば”ノーパンで始球式をしたせいで足を上げた際にイケないものが見えているんじゃないか」、「そんなわけないだろうけど”あわよくば”あの女子アナがAVデビューしているんじゃないか」と、ありえないけどあったらうれしいなという気持ちが勘違いを誘発させる。”あわよくば”を狙った勘違いを誘発させるネット記事の見出しも、AV女優の名前も、どれも白々しくわざとらしい。なんだったら「そういう勘違いを狙ってるタイトルってのもユーモアあって面白いでしょ?」みたいな圧も感じてなおしんどい。この類のわざとらしさは到底受け止めることはできない。
MOROHAのわざとらしさが嫌い
一方でわざとらしさが是とされる世界もある。演劇の世界は概してそんなものだ。特にミュージカルや劇団などはナチュラルな演技ではつまらない。仰々しく「ああロミオ!!!」「おおジュリエットォ!!」と瞳を潤ませながら叫ばないと全然楽しくない。そこにわざとらしさは必然である。しかししんどさもないし、圧も感じない。
音楽の世界も近いところはある。だがちょっとここは私の主観が入る。MOROHAというアーティストがいる。
独特な歌唱法で語るように訴えかけるアフロ。そしてそれを情熱的なギターで支えるUK。どうだ。いかにも音楽好きなおじさんが好みそうな音楽だ。「これが本物だ!」って意気込んでそう。「最近のロックバンドは声がナヨナヨしてんだよ!」と文句を垂らせば二言目には「ミッシェルガンエレファントはどこだ!」「次世代のナンバガがいない!」と漏らす。そんなロックンロール大好きなおじさんたちの大好物、それがMOROHAだ。
さあ、皆括目せよ。
それでは、ここからがテレビじゃ伝え切れなかった、デビュー以来「ブルーハーツ以来の衝撃」と呼ばれていたバケモノの真の姿だ。
その長さもさることながら、歌詞の濃さ、そして歌の熱量の尋常じゃなさは、それまでの邦楽アーティストとは別次元のクオリティであることが伝わってくる。
”あの”曽加部恵一を唸らせたのも頷ける、そんな”事件”並の衝撃である。
バックの音がギター一本が故に、歌を構成する中での声の、言葉の割合が非常に大きく、一言一言が耳ではなく、ダイレクトに心に突き刺さってくる。引用元: BASEMENT-TIMES
こちら、毒舌で有名だったBASEMENT-TIMESさん。べた褒め。まぁそりゃ当然だ。ここはおいしくるメロンパンはボコボコにするしMOROHAは寵愛する。わかりきってる。だからあのサイトは音楽マニアに愛されている。素晴らしいサイトだったと思う。
MOROHA、わざとらしい、で検索してみる。意外とそう呟いている人は少ない。「いかにも」刺さりそうな歌い方で「いかにも」音楽を真剣に愛してますとでも言いたげな編成。そして日常的な歌詞。もちろんそのどれもがクオリティが高く多くの人の心に突き刺さる理由もわかる。だけれど、なんだか腑に落ちない。よくできすぎている。よくできすぎていると感じたらそれはもうわざとらしさへの第一歩だ。アフロの歌い方が鼻に付くことは許せてもわざとらしさは見逃せない。
ファンの絶賛と排除
MOROHAの苦手さはファンにもある。もちろんあの特徴的な歌声が苦手だという人も少なくない。しかしどのサイトも「あの歌声には賛否両論ある。しかし…」と続く。つまり、賛否両論ある、で、もうMOROHAのネガティヴ要素は終わってしまう。「はい彼らの悪いところもういったでしょ。だからフェアってことわかった?客観的でしょ?」と言い放って次に進む。え?それで終わり?と言いたくなる。そして彼らを嫌いだといっているのは、匿名掲示板かツイッターなどで、どれもMOROHAの音楽を聴いたことあるとは思えない、あまり音楽に執着のない人達だ。音楽好きはこぞって「賛否両論あるが…」を免罪符にベタ褒めする。
とくに声に特徴があるため、好みは別れると思います。
あとは「これはヤバイ!」という単語が、嫌だという声も・・・
ただ彼らの音楽も知った上で聞くとまた変わってくるのでは。
管理人も昔、ブランキー・ジェット・シティという3人組バンドのボーカルの声が苦手でした。
バンド名の由来と「悪い人たち」という曲を聞いて一気に好きになりましたのでもっと彼らの曲に触れてみるのはいかがでしょうか?
この手法はおおよそアムウェイと同じである。初めは「私もよくわからなかったんです。むしろ嫌いでした」とこちらに寄り添うコメントを出しておいて、「でも気付いたの!彼らの良さに!」と手のひらを返す。「初めはアムウェイって聞いて俺も『どうせマルチでしょ?』と思ってたんだ。でも説明聞いているうちに、やらない理由がないって気づいたんだよ」と13年ぶりにあった友人に家に招待され、洗剤の実演を目の前で披露されながら発されたこの言葉を思い出す。
「好きか嫌いか」とか「かっこいいいかそうじゃないか」とかではなく、「なんだかよくわからないけど心を打たれる」曲を奏でるグループ。それがMOROHAだということが、きっとわかると思うので。
引用元: 東出昌大も生田斗真も大ファンの音楽ユニット「MOROHA」って? さっそく聴いてみたら……衝撃的な体験が待っていた
もはや好きか嫌いかですら評価させてくれない。あれは好き嫌いじゃない。普遍的な質を担保した最高のハートフルミュージックだ!と言う。MOROHAを評価しないのは好みで言ってるからだ。好みで言っているうちは本質を理解していない。なんて諭されても困る。ただただ困る。
自分が自分の中で棚上げにしていることや、うやむやにしていることや、あきらめていること。己の怠惰な部分、ずるい部分、言い訳がましい部分、みっともない部分。それらすべてに、否応なしに向き合わされてしまう音楽である、ということだ。
だから楽しくないし、気分よくもない。よって、合わない人は徹底的に合わないだろうが、音楽の魅力は楽しく気持ちよくさせてくれることだけではないことを知っている人には、徹底的に刺さることになる。
何かを評価するときに気をつけねばならないのが、ある側面をほめたときにもう片方の人たちを傷つけてはいないかという事。音楽の魅力を楽しくて気持ちよいもの以外で見出している人間「なら」刺さるはずだ、という。そんな音楽は存在しないしどう捉えようが自由なはずなのだがどうしても自分が素晴らしいと思う音楽を伝えようとすると少々独りよがりになりがちだ。
アフロ:うん。本当のことを言われるのは嫌じゃない? だから俺は反発してくれる人が一番響いてる人じゃないかなと思う。例えばネットで「MOROHAが嫌いだ」って言ってる人こそ、響いてるんじゃないかな。
阿部:実は見つめるのが嫌なだけでね。
だから、そういう声に向かってやろうとしたりする。「良いね」と言ってくれる人に関しては、既に自覚してることを再確認するからヒーリングなのかもしれないね。持っているからこそ。
最後にアフロ本人のインタビューを。アフロ自身も「嫌いだという人は芯を喰らってるから苦し紛れなんだ」と言ってしまう。これは横暴な意見だ。もちろん”実は見つめるのが嫌なだけ”な人たちもいるのは事実だろうが、そうやって一緒くたにされてしまうのは不本意である。アーティスト自身がこの路線で行くとするならファンが「この音楽は普遍的な価値を持った真の音楽だ」と豪語するのもうなずける。
わざとらしさの正体
とはいえ、MOROHAのやっかいさを「わざとらしい」と表現する一方でその根拠とするものが「歌い方と歌声」だけでゴリ押す私もあまり能がないと思うので、もう少し具体的に探してみたら、ひとつ見当たった。それは先日仕事が遅くなったので帰りにとある飲食店に寄った時の事。店内で繰り返し放送されるお得なキャンペーンやアプリの宣伝。夜も11時を過ぎているというのに店内放送の女性は24時間同じテンションで語り掛けてくる。私が昔イオンでバイトしていたときに唯一ストレスをためていたことはこの無機質な放送と、クリスマスに必ずかかるドリカムの音楽だった。店内放送の女性は元気よく言う。「~~~でポイントが溜まる!!」これだと思った。この「溜まる!」は語尾が上がる。イオンでもこの飲食店でも仰々しく宣伝するときは必ず語尾が上がる。決して声の女性は心の底からポイントを溜めてほしいわけでもないが明るくハキハキとそしてテンポよく、なにか引っ掛かりを与えたい企業側は語尾を上げるように指示する。MOROHAに戻る。あった。アフロもこの語尾を上げる語り口調が度々登場する。どれと指摘するまでもなくどの曲でも語尾が上がる。だから彼はCMで重宝される。重宝されるのはそもそも彼の歌い方と企業の宣伝の仕方が同じだからだ。相性が抜群に良い。これがわざとらしさの正体か、という表現もわざとらしいかもしれない、ごめん。
わざとらしさを認めなければならないという事
改めて弁明に走るが、決して彼らをアーティストとして低く評価しているわけではない。嫌いでもない。あのリアリティのある歌詞と誰もが潜在的に抱いている闇をゴリゴリっとえぐり出すあのパワーは唯一無二といってもいい。浮ついた音楽が多かった中で、あのスタイルをとった戦略も見事だと思う。ポエティックな歌唱法は2010年代のトレンドの一つでもある。MOROHAは活躍の場をさらに広げるだろう。だけれど、いや、だからこそ、わざとらしさが残る。そして彼ら自身よりもそれらを評価する音楽通たちの「それが本当の魂の音楽ってやつです。それは私たち音楽通の総意です!」という無言の圧力。彼らのわざとらしさを認めないと、と焦らされる。わざとらしく水卜さくらと名付け(られ)て勘違いを誘おうとするわざとらしさも、「ノーバン始球式」をノーパンと読み違えても「え?そんな事書いてないですよwww」とシラを切るわざとらしさもユーモアとして認めなければならない。なんだか窮屈な思いに晒される。
ただ単に「いかにも感動路線で真理をついているかのような歌い方で真の音楽だといわんばかりのスタンス」のわざとらしさに難色を示したいだけなのにMOROHA本人もMOROHAのファンも「それは逃げだ」と詰め寄ってくる。このわざとらしさは必然だ、と言われても困るのだ。それは音楽を知っている人間ならわかってくれるはずだという安易な同意の強要も素直に飲み込めない。ファンは「万人受けしない」と言うが本心は全くそんなこと思っていない。これは真の音楽だからちゃんと聴いた人には絶対伝わると謎の自負を抱いている。ミュージシャンではなくファンが抱いている。「テスト勉強全然してない」とうそぶく優等生と同じメンタリティーだ。それでどんな批判も受け流せると思っている。現に私がこんなこと書いてもきっとみんな笑うだろう。笑って「まあ万人受けしないのは分かってることだから」とか言って私を「ちゃんと聴いてない人」にカテゴライズするだろう。まあそうかもしれないが。
音楽はどこまでも自由で力強くて人生さえ動かしてしまうものかもしれないが、「本当の音楽」と名付ける者を私はあまり信用していない。
昭和の体育会系みたいな雰囲気ありますよね。
話の通じない一方通行感。
コメントありがとうございます。
「話の通じない一方通行」
すごく腑に落ちる一文ですね、納得です笑
実はこの記事で初めてMOROHAを知りました。
ドリアン助川の叫ぶ詩人の会みたいだなーと思いました。
曲にポエトリーリーディングを乗せる曲は他にも数あれど、頑張ってソング感というか、アナタ強がってるけど弱い人よねボク分かってますよー、強がらなくても良いですよー、でもアナタ強い翼を持ってるのだから強く生きて行きましょうねーという香りがきっとそう感じさせたのでしょう。
因みに私は頑張ってソングがニガテです。
大変興味深い記事、ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
あーなんとなくわかった気がします。その勝手に勇敢さを背負わされる感じ、たしかに普段から苦手です(T . T)
歌じゃないよね
しゃべってるだけだよね
歌って言われると違和感ある
コメントありがとうございます。私もあまり歌という認識ないですね笑
一応、「そういうジャンルも存在する」と客観的に歌として捉えてますが。
話の通じない一方通行感
私もそれだ!と思いました
ちなみにMOROHAもMOROHA好きな人間もマジ嫌いです
コメントありがとうございます。何かをはっきりと嫌いと言えることは大切だと思います。一般的には「嫌いなことをワザワザいう必要ないでしょ」と言われがちですが。嫌いなものから自己のアイデンティティを形成する方法もあると思います。なんの話してるんでしょうか?笑
なんとなくだけどね 某巨大有名宗教の雰囲気に似てる
「好き嫌いに別れるけど、聴いてみて!」って圧が凄い
ファンは控えめに勧めてるつもりだけど隠しきれない強要感
イマイチな反応するとそれは聞き手のせいで結局選択肢が好き以外なくなる
ファン含めて関わらないのが吉!
コメントありがとうございます。
ただノリがいい音楽、というよりは人生観とかが乗っかってくるんで、より前のめりでオススメしたくなるんだと思います。
私もmorohaを少し聞いてすぐ嫌いになりましたが、このインタビューのmorohaの発言は怖いですね。「MOROHAが嫌いだ」って言ってる人は、「本当のことを言われるのはが嫌なやつ」だと。要するに、聞き手がmorohaのメッセージを評価することは許されず、逆にmorohaの歌こそが聞き手を評価するのだと、そう言っているのです。そんなこと、あるでしょうか?
コメントありがとうございます。
相当な自信があるんでしょうね。もしくはふっかけるのが得意な人か。
嫌いなら聞かなきゃいいじゃん
匿名でグダグダ言ってる奴の方がよっぽどどうかしてるわ
コメントありがとうございます。
その意見は聞き飽きたので、他お願いします。21世紀にもなって匿名がどうのこうので批判するとはずいぶん古いお考えのようですね。
嫌なら見なきゃいいじゃん。
このわざとらしさ、歌だけじゃないのがクソムカつくわ
仮面ライダーの新しいベルトの音声がこいつなんだけどマジで不快感しかなあ
コメントありがとうございます。
仮面ライダーのベルトの音声は知らなかったですけど、笑いました。
なかなかクセ強めですね笑
ポエトリーをご存知ない…?
「歌じゃない」「喋ってるだけ」って言ってる人らはただ無知なだけ。
声が嫌いだからMOROHAが嫌い?
MOROHAが嫌いだからMOROHAを好きな人も嫌い?
このコメント欄ほんとに酷いな。どーせ自演なんだろうけどな。ヘッタクソな自演にこんなムキになってんのもおかしいが亡くなった友人のために魂こめて歌ってる曲を馬鹿にすんのだけは許せねぇわ。お前らが事故って4ね。
ポエトリーはご存知ですし記事内でも言及してますのでもう一度よくお読みになってください。
自演と言えば勝ったと思えて、4ねと言えば言い負かしたと思えるような貧しい思想のあなたが不憫です。あなたにmorohaの何がわかるというのでしょうか。甚だ疑問です。
ラッパー般若のファンです。彼はライブでMOROHAや竹原ピストルと対バンでパフォーマンスをすることがあるのですが、自分はMOROHAだけがどうしても受け付けません。熱く、リリカルで、男のファンが多いなど共通点は多いにもかかわらずMOROHAには強烈な拒否反応を感じます。
甲高い声やまくしたてるような歌唱法、ズボンを掴んで立ち尽くす演出など明らかなわざとらしさには多少嫌悪を感じていましたが、ブログを読んでハッとさせられました。おっしゃる通り、得体の知れない気持ち悪さの根源はリスナーのアティテュードでした。MOROHAに対し揶揄する者がいれば、それはそいつの耳が肥えておらず心が貧しいためであるから仕方ない… ←こういう妙な一体感というか内輪ノリを共有しているのがどうも…
コメントありがとうございます。
共感していただき嬉しく思います。竹原ピストルもたしかに近しいパッションを持つ方ですね。他の方もおっしゃる、宗教的なところに違和感を抱いているのかもしれませんね。
占いみたいな曲だなと思いました。
そりゃこれだけ「それっぽい事」並べてりゃ誰かには当て嵌まるだろって感じで。
若しくは自己啓発セミナーのスピーチ
コメントありがとうございます。
占いみたいな曲、というのはなかなかおもしろい指摘ですね。たしかに誰にでもちょっとはある罪悪感とか後ろめたさをくすぐるのが上手な人たちですね。
面白い記事ですね!
morohaだけでなく独自ジャンルの裾野を広げてく音楽はまず音楽マニアが食いつきその後、自称音楽マニアに食い荒らされて冷静な音楽好きに嘲笑される運命だなぁと思いました。
コメントありがとうございます。
こうやっていろんな形の音楽が生まれていき支持されるのは素敵なことだなぁと思う反面、その運命にはあまりの虚しさを感じました笑
僕もmoroha苦手なんだけど、自分が持ってる信念が好きというナルシシズムと、これにすがって自分の抱えている問題や不都合を封殺しようという態度が気にくわないんだと思う。
もっというとそれが露呈するのが嫌だから「Morohaは真理をついてる」というような強調をしているように見えて、Morohaもファンも僕からするとなんだか卑怯に感じるのかもしれない。
だからとてMorohaが「本当は自分が好きなだけなんだ」みたいなことを言っても、僕側に「また言い訳してるよ」と捉えられてしまうジレンマはあるよね。
Morohaやファンにとって発言したりパフォーマンスしたりという行為は、内省的な意思表明としての側面がどうしても強いから。
コメントありがとうございます。
なるほど深い考察ですね。ひとたび煙たがられるとどれだけピュアな精神でもまっすぐ伝わらないというのは得てして起こりがちな現象ですよね。個人的に歌詞の内容自体は全くなんの異論もなく、すごく真をついた正直なものだと思っています。
私もMOROHA苦手なんですけど、バイト先のスーパーの店内BGMで勤務中最低2回は流れるから苦行なんですよね~…
イイから聴いて!って言われても無理なものは無理でした…
店内放送の語尾が上がる話もナルホド!と物凄く共感したんですが、MOROHAの曲が流れてる最中にぶった切って流れて来ると「ヨッシャよくやった!」と思ってしまいます笑
コメントありがとうございます。
店内BGMは割と好きな曲でも何回も流れるので嫌いになりがちですが、苦手な曲となると…それは苦行ですね…笑
無理に理解する必要もないですもんね。
スシローのCMはアフロじゃないぞwww記事書くならちゃんと調べろよwww
コメントありがとうございます。
調べたところスシローのcmのナレーションがアフロさんであるとの記事やコメントは多数ありましたが、確証を得られるソースは見つかりませんでした。Wikipediaにも記載ありませんでした。スシローのリンクは消去します。ご指摘ありがとうございます。
MOROHAのファンです。が、この記事とコメントを読んで、ああ確かに、と納得させられた部分も多々ありました。
特に、曲もファンもどこか威圧的というのはわかる気がします。感情に語りかけるような歌詞だから、俗に言う「刺さった」人は、結構MOROHAに関して感情的に暴走しやすいんですよね。僕もちょっとその傾向があります。
聞く耳を持たない押し付けがましさはなくして、熱狂的なファンも中性的なファンもMOROHAに興味がない人も、みんな不快感なく音楽を楽しめたらいいですよね。
コメントありがとうございます。
思ったより同じような感覚を持っている人がいるみたいで私自身も驚いてます。
同感です。音楽くらいみんな各々楽しみたいですね。
今日初めてラジオで聴きました。自身の音楽感が根底から覆されるほど気持ち悪かったです。でも気持ち悪い奴は嫌いではないので最後まで聴きました。でも間違っても自分で金払って聴こうとは思いません
コメントありがとうございます。
気持ち悪い奴は嫌いじゃないって所で笑いました。
私も今日初めてFMで聞きました。
あまりにも気持ち悪い曲だったのでラジオ局サイトで曲名を調べここにたどり着きました。
こんなふうに歌っている女性いたよな〜。けど誰だっけ?思い出せない・・・。
24時間FMかけっぱなしの自宅でこれを何度もかけられたら具合悪くなるわ勘弁してほしい。
コメントありがとうございます。
かなり癖の強いアーティストなんであまりみんなの聴いてるラジオでは頻繁に流しにくいアーティストかもしれませんね。
MOROHA_UKのtwitterぷち炎上から調べてるうちにたどり着きました。
ツイート等で調べてMOROHA達自体の心象も悪かったですが、歌もこれまたPVの演出から曲まで好きになれず、調べるとほとんどの記事は同調圧力に近い絶賛具合で余計に気持ち悪く感じてたのものですが、こちらの記事を読んでやっと気持ちの悪さが理解できました。
コメントありがとうございます。
プチ炎上は知りませんでしたが、同じような感覚を抱いてる人結構いるんだなとびっくりしています。
最近、モロハを知ってはまっていたのですが正直なところこの記事が正しいのかモロハが正しいのか どっちなんだろ?って思いました(正しい、正しくないが関係無かったらごめんなさい🙏)
ただ、つい最近「拝啓MCアフロ様」がアフロさん本人の体験ではないというコメントをあるコメ欄に見つけたばかりだったのでなんだか混乱しまいました。(その話が正しい証拠がないので間違いの可能性はあります。)興味深い記事をありがとうございます
コメントありがとうございます。
亀亀さんが、なにとなにを比べて正しさを測っているのかわかりませんが、私はこの記事はあくまで個人の偏見と感想を述べているだけで、事実関係とは一切関係のないものだと認識しています(もし事実誤認がありましたらご指摘ください)。
この記事にかかわらず、このブログはアーティストの発言などからいろいろなことを考えてみるというものなので、一つの解釈の仕方として捉えていただけると幸いですし、決して一概にアーティストを否定しようとか、そのアーティストを好きな人を見下そうなどといった大きな目的はないのでご了承下さい。
とんでもありません。こちらこそ混乱を招いてしまい申し訳ありません。
記事で書いている事には割と納得できたけど、コメント欄はいわゆる「ちゃんと聞いてない人」からの悪口が多くて悲しいなぁ…
コメントありがとうございます。
まぁ嫌いな人は普通わざわざちゃんと聞きませんよね。自戒も込めて、嫌いでもきちんと向き合ってから言葉にしたいなって思います。
9/22の人の言う「ちゃんと聞いてない人」の定義がよくわかりません。
とにかく自分はmorohaの声に対する不快感がすごくて、ちゃんと聴けません。
バックで流れるギターはめちゃくちゃく上手なので、声を除いた曲自体に好感は持っています。
歌詞はサイトでチェックして、好きな人の気持ちも想像してみたりしましたが、心に刺さるものは何一つなかったので総合して「苦手」という判断です。
それでも「ちゃんと聞いてない人」になるんだろうなぁ。
どうしても声込みの曲を聴いてしまうとイライラして無理です。
コメントありがとうございます。
これは私がこの記事で書いたことと重なるのですが、「ちゃんと聞いてない」というのは「ちゃんと聞けばわかる」と表裏一体で、そこに対する窮屈感があるなと感じてます。
先の方が言われた「ちゃんと聞いてない人」にはそこまでの意図は含まれてないとは思いますが。不快感がある、苦手、というのもちゃんと聞いた結果であるというのは理解されたいなぁって思います。
ちょっと質問。
ファンがどうとか本人の考え方がどうとか好き嫌いを表明した時の反応がどうとかって、
そんなに気になりますか?
私からすると音楽の楽しみ方って聴いてこの曲好き嫌いで終わってしまうのですが、
novelさんにとってはこの記事の内容も音楽の楽しみ方に含まれているのでしょうか?
それとも、ブロガーや討論家、音楽研究家として楽しみ方なのでしょうか?
コメントありがとうございます。
非常に良い質問であり、ありがたい質問なので少し長くなりますがお返事させていただきます。
まず、私にとってこの記事の内容も音楽の楽しみ方の一つです。ということはお伝えさせてください。
そもそも私はよほどの差別主義者であるような場合を除いて、誰かを心底嫌う事はまずありません。好きか嫌いかはありますが、別に嫌なら聞かないって事も当然します。事実MOROHAは今もなお自分から聞く事はしません。半分冗談です。
ただ、私は「嫌い」という一言で済ますのが、それこそ失礼なのでは、と考えてます。なぜ気に食わないのか、どこに違和感を感じてるのか、それは自分のルーツと関係があるのか。人間があるモノにリアクションするには必ず理由があります。私はそこを”あえて”少し嫌味ったらしく、長々しく書くのが好きです。それでスッキリするのです。これは特にブロガーだからとか評論家のつもりで書いているのではなく、世の中のモヤモヤしたものを(自分がもやもやしたものを)うまく紐づけて書き上げることに楽しみを覚えているので書いている次第です。
私は誰のどんな聴き方も否定しません。質問者様のように好きか嫌いかで終わってしまうのもすごくシンプルで素敵だと思いますが、私のようにウザったくこねくり回す人も好きです。いちいちファンとかシーンとかアーティスト自身の考え方にまで口出ししたくなる人もすごく深い洞察力で素敵だなと思います。
もしかすると(いや実際に)、ファンの方には不愉快な思いをさせてしまっているかもしれません。そこは織り込み済みで「ごめんなさい」と正直に謝るつもりです。ただ、心底嫌いではらわた煮えくり返りながらパソコンのキーボードを叩いてるわけではない事はご理解ください。面白くなければひとえに私の実力不足ですが、私としては「ユーモア」のつもりで書いています。
今回はMOROHAについて語る時に外せないのはファンの熱苦しさだな、と気づいたのでファンの反応を取り上げましたが、別にそれが全てに当てはまって気に食わなくて仕方ないとかいうわけでもありません。
私は討論したいわけでも論破したいわけでも研究家になりたいわけでもありません。ただありのままに自分のうちにある違和感や感情とじっくり向き合って言葉にしているのをここに書き留めているだけです。そして何人かの方に、ありがたい話ですが、「面白い」と言っていただけるのが嬉しくて嬉しくて承認欲求が高まってしまってやめられない人間なだけです。
本当に長くなりましたが、これが私のスタンスです。ご理解いただけると幸いです。貴重なご質問ありがとうございます。
とても面白い記事ありがとございます。
最近MOROHAを知って、歌詞とか検索してる内にこの記事にたどり着きました。
こういう見方、感じ方もあるんだなと、音楽の面白さにも気付かされました。
コメントありがとうございます。
そう言っていただき光栄です。いろんな受け止め方があってこその音楽だと感じています。
記事興味深く読ませて頂きました。
MOROHAジャンルとしては割と好きです。こんなアーティストがいても良いかなといった感想です。
確かに何回もリピートされる歌詞は鬱陶しく感じますが、頭空っぽにして浸れるような曲調が良いですね。
ただこのアーティスト売れてない時期は泥臭くて共感できても、売れ始めてしまうと魅力が半減してしまいますよね…
コメントありがとうございます。
たしかに、売れる事と説得力のバランスって難しいですよね。本人たちは「売れる」ことにすごく積極的ですね。だからCMのお仕事でも喜んでやる、お金を稼ぎたい、とインタビューに答えていたのが印象的でした。
自分はMOROHAの曲を最近知って一瞬で虜になった人です。
自分も虜になった時にすごい友達などにこの歌いいよ!と暑苦しくお勧めしてしまいました。
ただ、この記事を読んでいろいろ考えさられました。
この歌は素晴らしいという先入観を持って話すことにより相手に窮屈感を与えてしまったのだと気付かされました。相手に窮屈感を与えないようにするには紹介しないのがベターなんですかね…
意見を強要しているようになるかもしれないですけど、その熱苦しさとか一方通行な雰囲気のMOROHAが自分は好きでした。
YouTubeのコメント欄などは自分のような考えを持っている人しかいないので、このような面白い記事を読めたのを感謝します!自分と相対する意見を持っている人の文章を読むと客観的に見れてる気がします。(多分まだまだMOROHAファン側で話している)
コメントありがとうございます。
もちろん他人に熱意もって勧めるのは悪いことではないですし、暑苦しさの可否はお友達との関係性次第なので、きっと「彼の言うことなら間違いないだろう」と思って好意的に受け止めてくれてるんじゃないでしょうか(想像ですが)。
紹介はどんどんしましょう!!紹介しない方がベターなんて、そんなの好きなアーティストにとって損なだけですよ!!
気をつけるべきは大した関係性でもない相手、あるいは不特定多数が聴く(見る)場において「これを聴かない人間だだめだ!」といった押し付けをすることです。
聴かないことを否定するのではなく、単に聴くことをおすすめするだけでもきっと相手は理解してくれますし、それで聴かなかったとしても誰も責められるものではない、くらいの軽い気持ちでおすすめしたいですね。
某ラジオでたまにMOROHAがかかるのですが、音量0にしてやりすごしている間にここを見つけました。
広い意味であれも音楽だとするならば、ノイズミュージックやマイナーな民族音楽などと同じくらい人を選ぶジャンルだと思っています。
愛好家がいてもいいとは思いますが、メディアに出る頻度や持ち上げ方等も聞いたことのないような外国語曲ですとか、聴くに耐えない前衛音楽くらいにして欲しいと思っています。
これは本当に私見ですが、きっと大抵の人は飽きます。あれは。
音の高さや強弱、速さや間、重なりに乗せて言葉を伝えるそれが音楽だと思っています。
そのバランスが偏った音楽は長く愛されないでしょう。
コメントありがとうございます。
確かに相当人を選ぶ音楽ですね(前衛音楽と同列に扱うのは笑いました)。
バランスも大切ですよね。本人達はもちろんそのリスクを承知でやってるんでしょうが。
それこそこの記事であげられてる自分の感情を人に押し付けてる迷惑な人ですよ。好きって気持ちを押し付けるのも良くないですが嫌いって気持ちを押し付けるのも良くないですよ。
コメントありがとうございます。
言っている意味は分かりますが、自分の文章が押し付けているといわれてもあまりピンとこないです。
novelさんのことを言ってるわけじゃないです。上のたいていの人は飽きるだの言ってる人の文章に対して書いてます。
承知しました。
MOROHAどちらかといえば好きなんですけど、広告の語尾云々の記事を見て薄々彼らに感じていたあざとさの正体がアフロの自己愛と承認欲求の発露だと気付かされて新鮮でした。
いつだったかアフロ自身もTwitterで「俺の歌っていることは自己愛」的なことを呟いていたし、本人も自分の声が広告向きなことを自覚した上で、周りの共感を誘う歌を供給し、「ロックンロール大好きおじさん」達の需要を満たせているのなら、商業としてはありだと思います。
(実際それを自覚してなければCMやテレビ番組への出演はしないでしょうし…)
ある意味やってることは西野カナとかに近いのかもしれません。MOROHAの紹介でよく引き合いに出されるブルーハーツなんかも、実は結構計算高いバンドだったりしますし。
ファンに関しては、MOROHAに限らず「俺の好きなバンド万人受けしないけど聴けば本物って分かるから!」みたいな人たちはよく見かけます。けどそれがMOROHAのファンの場合、彼らの伝えたい美意識やメッセージ性からかけ離れた行動として見て取れてしまうため、そのギャップが鼻についてしまうんだろうなあと思います。
「革命」で歌われているような必死で生きようと決意する人間が、匿名で「これが真の音楽だ!」なんて言ってたら幻滅しますもんね。
コメントありがとうございます。
冷静で的確な指摘ですね。自分の気づかない”いやらしさ”(言い方に不快感を抱かせてしまったらすみません)をファンからしっかりと分析されていて、興味深く読みました。
ご気分悪くされたかもしれないのに、この記事へのご理解いただきありがとうございます。
なんかコメント見てると的確に批判したもん勝ちって雰囲気に感じる
それって否定派の人達が言うMOROHAの嫌いなところと同じじゃない?
コメントありがとうございます。
同じ穴のムジナ、といったところでしょうか。なるほど確かにそうかもしれませんね。
私は特にそういう人間だと思います。
記事を読ませて頂きました。そこで一つ疑問が浮かんだのですが“わざとらしい”のは悪い事でしょうか?
また、“わざとらしくない”音楽がどのような物なのかイメージが湧きません。何曲か紹介していただけると嬉しいです。
コメントありがとうございます。
このブログは個人の感じた事を半分無理やり理屈をこねて解き明かしていこうとするもので、良し悪しを語ることはあまりありません。なので、わざとらしいというのは”悪いこと”ではありませんが個人的には鼻につく”苦手なこと”です。私は納豆が苦手ですが悪い食べ物とは思いません。それと同じです。
もう一つですが、わざとらしくない音楽は何かという質問は、あまり意味をなさないものだと思います。「青春を思い起こす曲」は存在しても「青春を思い起こさない曲」はなにかと問われても答えられないように、「わざとらしくない曲とは”わざとらしいと思った曲以外全て”と答える他ありません。
もしかしたら私の言う「わざとらしさ」の意味が伝わりにくかったかもしれません。それは私の文章構成力不足であります。すみません。
> わざとらしくない曲とは”わざとらしいと思った曲以外全て”
具体的に曲名を知りたいです。
挙げてもいいですが、それは私の意図する意味が伝わってないというか。わざとらしくないと意識する事はないので挙げること自体がナンセンスだという意味なんですが。
あえてご要望にお応えするなら、宇多田ヒカルとか山下達郎とかテイラースウィフトとか、まぁいくらでも思いつきますが。
歌詞に使いふるされた言い回しが多いというか、パンチラインがないというか、詩として読めばましかもしれませんが、音楽として聞いたとき心に残るものが無いですね。
morohaのメンバーは今ではかなりお金も持ってるでしょうし、そんな人が嘆いてるだけの歌を、果たして共感できるんですかね?疑問に思います。
2年前の記事にすみません。
コメントありがとうございます。
日常的な言葉を多く用いるのでそういった印象になるのかもしれませんね。
また、morohaに限らず、表現者自身が権力者や富裕層といった持てる者に移ってしまった時の説得力の問題はつきまといますね。
MOROHAが嫌いなのは音楽とかエンタメに何を求めるのかってとこにも繋がる気がします。
寺山修司が詩の中には「人生処方」としての詩があると述べています。詩は古来社会的に役に立たない非生産的営為とされますが、これらの詩は逆に悩める人の心を鼓舞するためのある種の薬として作用するもので、簡単にいうと自己啓発のための詩です。
逆に宮台真司さんのいう「社会的なシステムからへ」と人々の心を連れて行ってくれるような詩もあります。これがいわゆる芸術としての詩だと思います。例えばスピッツの詩などは常に「死とセックス」がテーマになっていて、まさに没社会的なへと人々を誘ってくれるものではないでしょうか。
つまり本で言えばMOROHAの詩は自己啓発本であり、スピッツの詩は純文学です。
音楽を現実社会のシステムから束の間遊離するための「回路」のようなものとして愛好する人間にとっては、「音楽業界というシステムの中で勝ち上がっていくこと」を主題としておき、聴く側をも、彼ら自身の社会的競争へと向き合わさせるような説教じみたMOROHAの詩は鬱陶しく聞こえて当然です。おとぎ話を求める子供に「7つの習慣」を読み聞かせるようなものです。不幸にもyoutubeで誤って再生して、不覚にも自分自身の現実と向き合わさせられた人は溜まったものではないでしょう。
個人的にMOROHAの凄さはこの「向き合わさせる」力だと思います。僕は啓発的な歌詞は好きではないですが、あのリリシズムあふれるギターフレーズと独特な声という強力なフックによって半強制的に歌詞を「聴かせられ」、結果その自己啓発的処方に半強制的に「食らわせられた」人間です。
結論、MOROHAが一部の人を強くイラつかせるのは、「アートとしての音楽を求めるタイプの人が、気まぐれで再生してみたら魅力的なギターサウンドが聞こえてきて、思わず聴き入ったら突然自己啓発的説教をかまされたけど、独特な声が癖になってつい最後まで聞いてしまい半強制的に現実と向き合わせられたから」だと思われます。何より個人的には歌詞が思いの外刺さってしまったことが、MOROHAの手のひらで踊らされているようで悔しかったです笑。自然災害にでもあったと思う他ないでしょう笑。
コメントありがとうございます。深い考察、読んでて感心しました。確かにMOROHAは徹底したリアルの追求とみっともなさに気づいてしまうのが嫌で有耶無耶にしてた気持ちを吐き出すエグさがあります。私は自己啓発的な歌詞を全く求めていないのもこの文を読んで気付きました。ありがとうございました。
返信ありがとうございます。
実はMOROHAのアフロさんとGEZANのマヒトゥザピーポーさんがこの主題について深く語っているので面白かったです。
システムへの反抗、オルタナティブとしての音楽を徹底するマヒトさんとシステム内での成功を目指すアフロさんという対比が明確でMOROHAの思想が垣間見えると思います。
https://spice.eplus.jp/articles/214462
コメントありがとうございます。
参考リンクありがとうございます。すぐ読んでみます。
嫌いなら聞かなければええやん
バカか?
関係無いが、このブログが書かれて3年たっている。(失礼だけど)たまにしか来ないコメントなのに毎回長文で真摯に返信されているnovelという方、なかなかすごいと思った。
コメントありがとうございます。ご心配に及びません。この記事を書いて以来ほとんど耳にも入れてません。そして苦手なものを苦手と放置するのではなくなんでだろうと自分なりに考えるのが楽しくて書いてます。
どんなコメントでも私は丁寧に返します。それがモットーです。
記事に嫌いでは無いって書いてるのですが嫌いなのか嫌いじゃないのかどっちなんですか?
コメントありがとうございます。
嫌いの先にある感情を探すことが私の一つのやり方なので、「嫌い」にとどまりたくないなとは思っています。
記事の執筆ありがとうございます。
まさに『MOROHA わざとらしい』と検索をかけてこの記事に行き当たりました。
自分もナンバガなどロキノン系を敬愛してますが、どのファンの中にも一定数いる「これが本物のロックだ」という意見は好きになれません。感性もとい音楽性は人それぞれなので、それぞれに『本物』があると捉えています。例えアイドルソングにおいてもそうです。
そしてここから先は完全に私の好みの話になりますが、上述の検索ワードでお察しの通りMOROHAはどうしても好きになりません。
本来一部の狂信的なファンが発する『これが本物』という圧がアーティスト自身から発せられているように思います。さも、「これの良さ分からないかなぁ?」と疑問を呈しているようなスタンスが見て取れます。大分こじつけに近いものがありますが、もっと言うと『めちゃめちゃ熱い曲でしょ!!』『これがリアルでしょ!!』と楽曲がアピールしている気までしてきます。
ウルフルズやサンボマスター、ナンバガ、エレカシは楽曲で強い思いを伝えたいという所から『熱さ』が生まれていると思いますが、MOROHAはその『熱さ』を産むために楽曲を作っているように感じます。脚色された『熱さ』です。
長々とコメントを書くことで完全に話の着地点を見失ったのでそろそろ終わりにします。大層な屁理屈をこねましたが、結局のところはMOROHAが単に嫌いってだけですね。
ただ、そのモヤモヤをこの記事、コメント欄で晴らすことが出来て良かったです。
改めて、記事の執筆ありがとうございました。
コメントありがとうございます。ネガティブな感情はあまり露出することは良しとされないですが、こうやって書いてみてあなたのような方に言っていただけたならそれで十分書いた甲斐があったなと感じております。私もあなたの意見に概ね同意します。
最近モロハ好きになって色々調べてたら出てきた
モロハに背中押してもらったのにこの記事とコメントに足首掴まれた
萎えた
コメントありがとうございます。そしてせっかく好きになった気持ちを折るようなことになってしまい大変残念です。でも大丈夫です。世の中にはたくさんの賛否両論があります。自分にとっては聞き入れにくいものや耳の痛いものもたくさんあります。その中でどうやって生きていくか。シャットアウトするのもいいし、娯楽として楽しむのもいいし、そこを分析するのもいいし。自由に楽しんでください。モロハに背中押してもらったのなら絶対に応援すべきです。大切なアーティストが見つかってよかったですね、こんな記事なんか気にせず自分の好きなものに自信を持ってください。応援しています。
自分はあの高くてやかましい声が苦手で、正直言って今も音楽的には好きではないのですが、今は彼らと彼らの一部の曲が好きです。今までの音楽に対する好きと違って、演劇としての好きに近いかもしれません。高尚な美しさではなく、ドブネズミみたいな美しさがあると感じています。
コメントありがとうございます。演劇の好き、なんとなくかれらの魅力をつかむいい言葉かもしれません。
いくつか感じるところがありましたので。
最初に書いているノーバン始球式、AV女優の下りですが、あそこに書かれている内容だと、勘違いさせる物はわざとらしいものだ、という主観で書かれていますね。勘違いをするのは受け取り手の問題で、そこが必ずしもわざとらしさに結びつくってのも、人によるのかなと感じます。
またあなた個人の主観である、「ノーバン始球式やAV始球式は勘違いさせる物。だからわざとらしさを助長させる物。」というロジックのもと、MOROHAのわざとらしさも勘違いさせるような音楽であるって言うあなたの定義付けは少し強引な気もします。
仮にMOROHAがわざとらしい物だとして、それを音楽の評論として出した場合、それだけだと個人の感想でしかないのでは?と感じます。評論というのは、主観も多少は大事ですが、客観的に見るのが一番大事なところになります。私は様々な評論を見てきてますが、いい評論っていうのはその物事を良い・悪いだけ書くのではなく、時代背景、世論、何故いいのか、何故悪いのか、業界的には、過去のデータは、等様々な視点を鑑みて評価するものであると考えてます。
また、客観的な部分、音楽的な部分について触れてらっしゃいましたが、そこを言うのであれば主様が思うMOROHAの音楽的にダメな部分を書くべきであり、そこはあの内容だとわからなかったところです。嫌いな理由を某企業の名前を出して揶揄するのも正直短絡的で、音楽の評論としては?と感じてしまいました。確かにあの企業についてはあまりいいイメージがありませんが、私が仮にあの企業について全て知ってるかと聞かれた場合、それは答えられないです。おそらく貴方も同様でしょう。あの揶揄の仕方もそれぞれのことを深く理解しないまま述べているのであれば、短絡的と言われてし然るべきかと感じます。
また、音楽を好きか嫌いかで評価させてくれないというのがありましたが、今までの私の音楽に触れあってきた主観で言わせて頂ければ、そもそも好きか嫌いかで判断するものではないということです。人間の歴史において、好き嫌いが結局闘争、最悪戦争に発展していってることをわかってますか?音楽のみならずそれはやるべきではないんです。争いが起きるので。差別や宗教で起きている戦争は人間のそういった自己中心的な考えからきているものが多い。多種多様を認めない人間が自己中心的な考えで起こしているものなんです。ですので、評価をするということは、そうならないようにしっかりとした裏付け、根拠に基づいてするべきであり、主様の評論にはそこは正直何も感じられません。
もう一つ。
引用されてる文章は許可は取られているのでしょうか?これは素朴な疑問で、大丈夫なのかな?といった無知な私の疑問です。
長文失礼しました。
コメントありがとうございます。
ノーバン始球式のような、明言されていないけれど常識的に考えて明らかにある方向へ誘導しようとしているのが見え見えなものは、そうだと断定しても良いと考えてます。あそこまで露骨にしておきながら「明記してないのでそれはあなたの感想ですよね」と言われるのはまるで小学生の言い訳のようにも聞こえるので。
ノーバン始球式とMOROHAの結び付けは強引です。強引ですが、なるほどそこね、という面白さがあるかなと思ったので結び付けました。
個人の感想では?と言われますが、個人の感想です。評論が客観性が大切なのは重々承知しており、貴方様のおっしゃる通りだと思います。
音楽的なダメな部分ですが、それを語るにはあまりに知識が欠如しており、それこそ浅い評論になりかねません。私はあくまでインタビューや歌詞から見えてくるアーティストのアティチュードや捉え方について語っています。某企業名を出すのが短絡的という指摘は言い訳せず受け止めます。精進します。ただ、あの企業の何をしればあのような揶揄が可能になるのでしょうか。私はありとあらゆるところから一部を引っ張ってきて結びつけるやり方を主としてるので、なかなか難しいなぁという感想です。
好きか嫌いかで判断するものではない、というのは音楽の評論についてですか?こういう世に出回る形の発表物についてですか?それとも個人間のやりとりを含むすべての「語り」についてですか?もし仮に三番目だとしたら、それは賛同しかねます。評論が、あるいは世に出回る形のものが好き嫌いで語るべきではない、というのは気持ちは理解できます。多種多様というのは私が最も尊重したい、そしてそれを学びたいと感じている言葉ですが、好き嫌いで語ることが多種多様を認めないことであるというのではあれば、それこそ短絡的なのではとも率直に感じました(受け取り方が間違ってたら申し訳ありません)。評価には裏付けは必要です。私の”評論”にはそれがありません。仰る通りです。言葉のあやで言い訳するようですが、私のブログは「ブログ」です。評論家を名乗ったこともなく、評論文だと自称したこともありません。これはMOROHAの客観的な評価であるとも明言したこともない(はず)です。評論でないのであれば、裏付けも必要なく、好き嫌いで語ることもいいと考えますがどうでしょうか。
引用に関してですが、引用箇所を他と区別し、出典元を記載しているので問題ないと認識しています。また文章の大半がある引用文で埋められている場合は問題ですが、半分以上は私の文章であり、ある一つの引用元から全部引っ張ってきているわけでもないので、こちらも問題ないと思われます(基本的に許可は必要ありません)。
さまざまなご指摘ありがとうございます。基本的に仰ることに異論はなく、的確に本記事を指摘していると思います。
以上。
返信ありがとうございます。いくつか。
露骨なものほど意味があると私は考えてます。
例えばノーバン始球式、AV女優の名前については、私の考えとして商業的な意味合いも強いのかなと思われます。たくさんの人に観てもらいたい、収益を得たい、もしかすると何か伝えたいメッセージがある、3つ目は当該始球式、女優の例だと考え難いですが。
言葉の意味をそこまで考えた上で判断してもいいのでは無いでしょうか?
特に音楽は収益以外にもアーティストが伝えたいメッセージが込められている場合もあるので。
企業については、名前を出すこと自体問題であるといった意味です。あの書き方であれば、あの企業が社会的によく思われていないといった意味に捉えられかねないです。企業イメージというものがありますのでそこは考えてご発言はされたほうが宜しいかと思います。
また、評論ではなくブログであるから音楽的な知識は必要なく、個人的な感想を述べても構わないと申されましたが、それではアーティストさんがあまりに不憫に感じます。不特定多数(人気のブログとお見受けしてます)の人間の前で専門知識の無い人間が個人的な感想を好き勝手言われら、、、いい思いはしないと思います、、ましてそのブログで収益を得ていたとしたら(詳細はわかりかねますが)アーティスト及びファンもよく思わないのは当然かと存じます。プロ野球選手が野球の知らない素人にプレーについて好き勝手言われたら選手もファンも怒りませんか?それと一緒です。
コメントありがとうございます
>ノーバン始球式について
なるほど理解できました。たしかに新聞の見出しは明らかに商業的な理由で掲載されていますが、アーティストの言葉は商業的な意味合いよりもメッセージが強いかもしれません(特に彼らの場合だと)。その場合、両者を比べるのは破綻しているというのであれば、たしかにその通りですね。まぁそもそもこのこじつけが誰の異論も受け付けない完璧なロジックだと思って書いてもないので、そりゃそうだって気持ちですが。
>企業名について
んー、自分がそのような知識に詳しくないのでなんとも判断しかねますが、商品についての批判(マズイ!とか)ではなく、単に店のラジオがわざとらしいと言うだけで企業のイメージをそこまで損ねるものなのかなぁというのが率直です。程度の問題ではなく、姿勢の問題であれば、おっしゃることもわかりますが。あとあくまで個人ブログにそこまでの公益性や公共性を配慮すべきかどうかなのかはここで議論するにはあまりに無知だと思うので控えます。
>評論に感想について
それも貴方様とは意見が異なりますね(すみません)。専門知識ない人間でも好き勝手言える方がいいじゃん、ってのがこのブログの発端なのでそもそも根底からスタンスが違うと思われます。「嫌いな事より好きな事で語ろう」という言葉がまるで正解のように語られて、誰からもお金ももらってないのに浅い美辞麗句を並べているのをみて、リアルがないなぁと思ったのが最初です。だから自分は素直に感じた違和感を言葉にしようと思いました。もちろん、個人の人格を否定したりデマを流したりという悪質な(刑罰に問われる)ことはせず、あくまで作品にたいして、そして言質をとったうえで感想を書くにとどめています(あっても感想レベルの良し悪しでありそれでも人格の否定は行っていないつもりです)。
あと、ファンがいい思いしないというのは、まぁ言い方悪くするとしょうがないのかなと思います。誤解していただきたくないのは、私は決して人を傷つけたいとか嫌な思いをさせてでも自分の主張を押し通したいという思いはないという事です。当然音楽の話でケンカなんて無駄だと思いますし、いかなる差別も言語道断、許されるべきではありません。ただユーモアは忘れたくないなと思う気持ちがあります。クリスロックのウィルスミスに対する暴言は許されませんが、利害関係にない人間だから言えるユーモアはあると思います。その範疇かどうかは受け取り方次第なので、お前のは違うぞと言われればすみませんの一言しかありませんが。ファンが悲しむから好き嫌いは言わないというのも「知らんがな」ですし、「それくらいでいちいち怒るな」とも思いますし、人前に立って自分な作品を発表したりする以上、好き嫌いの評価を表立ってされたくないという理屈はちょっと傲慢かなと。野球知らない素人が好き勝手言ってファンが怒ったとしてもそれがあくまで個人の感想の範疇であればそれは怒る方がナンセンスだと思います。居酒屋のおじさんの毒舌とブログという世界発信の二つは比べられないのは確かですが。でも貴方様のおっしゃる言葉わかります。自分もより注意しなければならないなと気付きました。ありがとうございました。
私は全く音楽については詳しくありませんが、ようつべでおすすめに出てきて偶然再生「……なんだこれ?」ってなってコメント欄を見たら絶賛の嵐。再生数もスゴい。
好き嫌い苦手以前に私は「分からない」という感情が先行していました。
「良さの分からない自分がおかしいのか?」と思いネットを彷徨った所、この記事を見つけました。他の方のコメントも一通り読ませていただきました。
全く異なる見地ですが、哲学の実存主義vs構造主義の議論と全く同じような話ですね。
この場合件のアーティストが実存主義でnovelさんが構造主義といったところでしょうか。
興味があればレヴィ=ストロースとサルトルの論争を見てみてください。
コメントありがとうございます。構造主義も実存主義も理解していないのでこれを機に学ぼうと入門的な本をさっき購入しました。
私は構造主義なのでしょうか。勉強してまともな返答ができるように励みます。ありがとうございました。
こっちは「理解」した上で嫌ってるのに、アフロ本人は「嫌ってる人こそ「響い」てるじゃんw」ってスタンスが、思い上がりも甚だしいし本当に気持ち悪い。ポエトリーラッパーの癖に「響く」事と「歌詞を理解」する事の区別もついてない。情動的な歌詞のセンスは良いけど本質的にはただ自己陶酔拗らせてるだけの奴だと思う。
ただの愚痴だからこういうのはコメントじゃなくてTwitterに書くべきなんだろうけどここに書きます
コメントありがとうございます。
それは彼らに限らず往々にしてある口封じの常套句ですね。
ブログに書いてることは理解したし、共感もしました。自分は好きな作家さんなんかがファンに天才と言われているのを見るとなんだか嫌な感じがするのですがそれに似てるかなと思いました。ですが何らかの作品を楽しむ時にそれを作った人やそれのファンを気にするのは正直あんまり共感はしません。自分の好きな作品の作家さんがどんな不祥事を起こそうが実際自分がその作家さんを嫌いになろうが作品は純粋に楽しみます。ファンや作家を気にして作品を見るのは正直やめたほうが良いんじゃないかと、主観ですが思ったのでコメントさせていただきました。ちなみに自分はMOROHAさんの曲は好きです。ですが好きだからという理由で書いたわけでは無いです。ご理解ください。
コメントありがとうございます。
基本まあまあ本気でちょっと冗談なので、日常から本気でそんなに気にしたりはしてませんよ。
おっしゃることには同意です。お気遣いありがとうございます。
最近MOROHA知って何曲か有名なのを聞いたんですが、首を捻ることしか出来なかったのでこのブログにたどり着きました
ポエトリーリーディングというジャンルそのものが個人的に合わないんですが、それ以上にファンもアーティストも宗教じみてるのがキツかったですね
こういうタイプの人達って個人の好き/嫌いを分かってる/分かってないみたいに全部自分に都合のいいように捉えて話が通じないから苦手です
的外れなクソレスに不快感を示したら「図星www顔真っ赤www」みたいなレッテル貼りインターネットしぐさされた気分
コメントありがとうございます。
ネットはえてしてそういう場所ですよね。
嫌いなものに対してここまで長文で語れるのは凄いなと思います
コメントありがとうございます。
とてもうれしいです。ありがとうございます。
とても面白い文章でした。文章力や表現力が凄いなーって羨ましく思います。
僕もMOROHAさんの音楽は苦手に感じてました。そんでググってみたらココに辿り着きまして。読んでみて合点。なるほどな、上手いことお書きになるな、と。
MOROHAさん、ビートたけしさん風に言わせて頂きますと『アンチャン達、品がねぇなー』って感じがしてしまって…(好きな皆様本当にゴメンナサイ)
凄い(評価される)のも、沢山の人に刺さる(支持される)のも、わかるんですけどね。
ま、俺には合わないなー、と。
でも、竹原ピストルさんは好きなんですよー。ライブに行った事もあり、また観に行きたいなーって思ってます。
ビートたけしさん風に言っちゃうと『ピストルは、いいんだよなぁ(しみじみ)』って感じです。
好みって、それぞれですね。
イイネ!派の意見も、ダメだね!派の意見も、
双方が『へー、そんな考え方もあんだねー』ぐらいに受け止められると、いいですね。
駄文・珍文失礼しました。
コメントありがとうございます。MOROHAが苦手で竹原ピストルは好きっていうのも、きちんと言語したらおもしろうそうですね、
煽りたいわけでも分断したいのでもなくて、きちんと言語化するっているのはとても大切なことだと思います。
そのうえでおっしゃる通り「へー、そんな考え方もあるんだねー」で受け止めあいたいですね。
文章読ませていただきました、とても腑に落ちる部分が多くて文章力に優れているなぁ…と思いました。
そんなこと言っている私はMOROHA好きなんですけど、自分も同じようにどうしても一方通行感や「くささ」を感じることもあります笑
そんな中でも好きな曲が何個かあるので、やっぱり合う合わないはあって、個々の感性によって様々な受け取り方があって、音楽って面白いなぁ、と思いました💭
投稿主様はじめ、コメント欄の様々な意見を見ることが出来て見識が広がったような気持ちです。
読みやすくて的を射るような文章をありがとうございました。
コメントありがとうございます。
私もあらゆるひとのコメントで、いろんな意見を頂戴し理解することができました。
そのように肯定的にとらえていただきとてもありがたく思います。
こんな今更な時代に今更なこと書くのもなんなんですが、ずっと自分が感じていた違和感を文字にしてる人がいた!という気持ちでついコメントしてます
個人的な感想としてはHIPHOPという枠組みの中でこの手の「芯に響かせる」みたいなこと言う人はそれなりにいた上で記憶にあるのはBlueherbとかなんですけど、あっちはゴリゴリのHIPHOPだったのに対してMOROHAはまずなんでHIPHOP自称してんのかなってなっちゃうんですよね
RockもHIPHOPも魂の形なんであればHIPHOP自称しなくてもいいじゃん…って
ジャンルとしての文脈がない中で「語り口調だからね、これはHIPHOP!」で通用する時代でもないですし、適当なジャンルつけないとランキングだとかなんだとかの面で色々問題なんだったらフォークとかのジャンルにしてくれた方がイカツイなって感じるんですけどね
どちらかといえばギターのほうこそ生ラップのバックっていう感じだし、ギターなしでボーカルだけ聴けばイースタンユースだし、HIPHOP要素どこ?っていう
これ全部個人の感想です
その上でお書きになられてることは褒めてる部分含め全部同意です
なんだかなぁって思いながらその存在を眺めてる感じです
コメントありがとうございます。
そんな風に思っていただけて光栄です。
なにかしらジャンルを自ら表明するっていうことは、それなりの覚悟と自負があるからだと思いますし、MOROHAなりの意思表明なのかなと感じます。
それでいて違和感を覚えることにも共感しますし、事実、この文章を書いたときとコメントをくださった2024年とを比較すると、MOROHAというアーティストのシーンでの存在感は少し物足りなさも感じるので、そこはHIPHOPというフィールドで戦う厳しさもあるのかなあと考えたりもします。
初めまして。凄くいまさらのコメントになってしまいすみません。
実は普段は邦楽を聞かず、今しがた初めて彼らの曲(三文銭)を聞いたのですが、歌自体はともかく最後の「カートコベインみたいな生き方なんてクソだ、普通に生きるべきだ」と言う言葉に何様だお前?って思ってしまいました。
それだけで批判するのは失礼かなと思い他の曲も聞いてみたのですが、大体抱いた感想は同じです。
自分自身もカートと同じでかなり強い鬱病なんですが、心の病を持っている人が普通に生きるのって凄く難しいんですよね。少なくとも自分は普通に生きるのにも相当難儀してそれで悩んでいます。
某バンドアニメの曲で「背中を押されるような曲を聞くのは電車に飛び込むようなものだ(意訳)」と言う歌詞があるのですが、ここまでド直球なのは聞いたことがないです。
そう言った弱者に対しての思いやりが彼らからは欠落していて、それが『わざとらしさ』にも繋がっているんじゃないかと思っています。
最後に付け加えて言うなら、カートのガンズに対する騒動を見るに、彼もこう言うマチズモ全開の歌い手は嫌悪してると思います。
コメントありがとうございます。
いや、なるほどと思いました。
Nirvanaはそれほど詳しくないですが、カートの一生も相まって、なんだかすごくマチズモに好かれているというか、マチズモに変換されている印象があります。
本当はその全く逆だったんじゃないのかな、って私も思います。
自ら命を絶つなんてあってはならない、というメッセージは確かに正しく強いですが、そのメッセージは結局誰も励ませずにただたださらに追い詰めるだけな気がします。
どんな病気や生きづらさを抱えていてもそれを克服できなくてもその生き方を肯定して認め合って支えあうことが大切なんじゃないかなって思います。
強く生きられる人はどうしてもそれができない人を見下してしまったりレッテルをはってしまったりしてしまいがちです。
どうにか、「みんなちがってみんないい」みたいなしょうもない標語に満足しないで、もっと向き合ってよりそれぞれが生きやすい社会になればいいのになと常日頃思っています。
個人的な思いばかりで返信になってなかったらごめんなさい。