音楽を生業にする難しさ

音楽をやるうえで、それだけで食って行けるかということと自身の音楽表現を最大限まで高められるかという挑戦は相いれない事が多々ある。両立出来りゃそれに越したことはないけれど、そんなことできるのはごく限られた一部の人間だけだ。

それでもこの時代は随分両者を同時に成立させやすくなったと言える。SuchmosやKing Gnu、星野源といった一切妥協のない尖ったアーティストがどんどん出てきていることも、藤井風、米津玄師といった自分のプラットホーム(youtubeチャンネルだったりニコニコ動画だったり)を持ち、企業に干渉されることなく作品を発表していきファンを拡大させるアーティストも当たり前に存在するようになった。もはや企業が先行してアーティストをディレクションする時代は古い戦略と言わざるを得ない。ファンが欲しいものを作る、ファンダムを形成する。それが鉄板になっている。それはつまり音楽性を受け入れられてもらえればある程度尖ったことをやっても売れることにつながり、そして売れる以上企業は一切口出しをしなくなる。星野源に作曲の方向性にくち出す営業マンや企画担当者などはいないように。

この記事を書いてるのはPEOPLE 1というバンドのあるインタビュー記事を読んで驚いたからだ。ファーストアルバムをリリースしたばかりのバンドのインタビューとは思えない内容である。一部を抜粋する。

──Deuさんは、PEOPLE 1結成以前にほかのプロジェクトでも活動されていますよね。その音源を聴くと、今言っていただいたガレージロック的な志向性はすごく感じます。

Deu そうですね、はい。

──その別プロジェクトがあったうえで、DeuさんにはなぜPEOPLE 1が必要だったんですか?

Deu その別プロジェクトでは、自分が思う“カッコいい”を追求していたんです。でも、それでは売れないし、どれくらいいけるのかっていう先のビジョンも見えてしまった。それ以上先に進むにはどうしたらいいかもわかってしまって。でも、好きな音楽でセルアウトするのが嫌だったので、別のバンドを組んで、もっとセルアウトに特化したものをやろうと思ったのが、PEOPLE 1です。

PEOPLE 1インタビュー|バンドの終わりは決まっている? 謎に包まれたバンドの素顔に迫る

赤裸々にもほどがあると思うが、まずはPEOPLE 1の楽曲を少し紹介したいと思う。私は去年の「常夜燈」という楽曲で彼らを知った。よくある今どきのバンドだなって思った。

MVに使われているイラストもキャラクターの服装もそのタッチも「あーはいはい」な組み合わせで「エモい」といわせたい下心が透けるどころかこべりついている。でも彼らのインタビューを読むと、それこそが狙いなんだということがわかる。ああ、戦略的バンドか。でも戦略的バンドにしてはいやに暗い。もっと「僕はビジネス書とかも読むんでマーケーティングとか得意です。」とか「最近気になっている人はひろゆきさんと箕輪厚介さんです」とか言ってほしい。でも彼らは一貫して「仕方がない」のスタンスを崩さない。ポルカドットスティングレイ仕草は見せない。

制限の中で最大限楽しむ精神性

初めに星野源やKing Gnuなどを例に挙げ、自由に音楽活動ができているアーテイストが増えていると書いた。一方で音楽産業が先細りの一方を辿っている状況も見逃せない懸念事項だ。フィジカルの売り上げが下がり、ストリーミングの配分はいまだ試行錯誤中、違法アップロードも後を絶たず、そしてコロナによるライブ営業の停止。どのアーティストも行き詰まってしまった。悠長なことは言ってられない。PEOPLE 1のDeuがどう感じていたかはこのインタビューでは語られていないが、売れないという事はそういう問題ももちろん付きまとっていたはずだ。

私はどちらかというと好きでもない音楽をやって金を稼いでいる人を少なくとも音楽人としてあまりかっこよく思っていない。以前「規制の中で自由を探す平成テレビ世代を理解してほしい」という記事を書いた時にも触れたが、今の人はあらゆる規制や制限の中で最大限どうやって楽しむかを命題としている人が多い。「規制ばっかで楽しくなくなったね」と嘆く大人はその規制が一体何のためにあるのか、その規制が無くて楽しめてたあなたたちの下にはどのくらいの苦しみ傷つき窮屈な思いを強いられてきた人がいるかの想像できない貧しい人なのだ。だから規制や制限は妥当なものならちゃんと受け入れて、その中でどうやって楽しむか。それこそが音楽人としてのやりがいなんじゃないかな、と音楽をやってもない人間が偉そうに音楽の美学について語っている。

セルアウトすることの覚悟

先日Creepy NutsのMC松永がテレビ番組「マツコ会議」に出演し、涙ながらに日本におけるヒップホップの受容の限界を語ったところ、思わぬ発言から大炎上をかましていた。少々ヒートアップしすぎだしよくよく考えたらそんな鬼の首を取ったように責め立てなくてもよい(松永自身にミソジニーを擁護するつもりはなかっただろうから)が、彼もやはりセルアウトすることと自身のヒップホップの高みを目指す途中の挫折を味わっているのだろう。

PEOPLE 1はそこまでセルアウトだろうか。いや、聴いた中で確かに節操のなさや若いインターネット世代に刺さりそうな音楽をやっているなと感じたのは間違いない。NEEや秋山黄色にも似たような印象を抱いている。だからPEOPLE 1はこのインタビューを読むまで絶対ニコ動出身とか歌い手とかその類だと思っていた(その割にはしっかりとバンドサウンドが作りこまれているなあとは思っていたが)。

ところがUKガレージがすきだという発言に腑に落ちる部分と、マキシマムザホルモンとか邦楽ばっかり聞いてきたというメンバーの発言にも合点がいったりと、わりと不思議な組み合わせなバンドだなと感じて読み進めていたら結成内容で理解できた。

しかしこのインタビューを通して読むと、あまりに辛い。こんなにバンドの状況が上向いて話題に上っているのに「放っておいてほしい」とか作曲を「毒を飲んでる」と言い、完成した作品が大衆作品になりつつあることが彼にとって覚悟でありアイロニックであるといわせてしまうなんて健全なバンドなのだろうか。そもそもこれを読んだファンはなんて思うのだろう。メンバーの「のっけてもらってる」感もなんだかRADWIMPSの00年代を見ているような。ひとつ何かあれば壊れてしまいそうなもろさが感じられる。

私はPEOPLE 1が好きだ。もちろんブレーンであるDeuのように大衆音楽でない音楽も好きだしUKガレージのリバイバルバンドも大好きだ。日本大衆音楽のダイナミズムに心が落ち着かない部分も多々ある。でもそのなかでPEOPLE 1はとてもうまく立ち回った作品をドロップしたと思っている。「怪獣」のようなその影響を隠さず出す所も、「常夜燈」で発揮されるいまっぽいインディーミュージックも「フロップニク」のようなフックの塊みたいなネットミュージックネイティブにささりそうな楽曲もほどよく散りばめられている。

──例えば、THE BLUE HEARTSは自分たちのルーツや思想を捨てずに、日本の大衆音楽としても受け入れられたバンドだと思うんです。僕はPEOPLE 1にも少なからずそういう部分は感じていたんですけど、どうでしょうか。

Deu 確かに、すべて捨てているわけではいないです。そういう意味ではいろんな価値観がミクスチャーされているのがPEOPLE 1だと思う……あくまで現状は。ただ、さすがにパンクロック、ロックミュージック、もっと言うと“バンド”という表現自体が今の時代と相性が悪いと思うんですよ。というか、今それをやっても、嘘になってしまうんですよね。そういう意味で僕はPEOPLE 1の闘い方は、今一番ロックだと思っています。ロックを突き詰めて、因数分解していくと、こういうバンドが生まれちゃうっていう。実はめちゃくちゃカウンターカルチャー的な作り方だと思います。

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PEOPLE 1の選択

どうやって売れることとやりたいことを両立させるのか、というのは大昔から数多のアーティストが頭を悩ましてきた問題だ。でもその解決法はいくつかみつかってきた。やりたいことと売れることにギャップがない人は幸運だろう。才能があり、やりたいことが売れることにつなげられる(自分の音楽性を大衆に教育うする)人は数年に一人のレベルかもしれない。ギャップが大きくそこまでの力量と運がない人は苦しむだろう。ファンダムを先に形成する、そして十分大きくしてから自分のやりたいことをやるパターンもある。PEOPLE 1は自分たちが大衆にアプローチしていく手法をとった。それは簡単なことではないが一番無難で確実だろう。私は彼らの作品を楽しみにしている。このインタビューを読んでさらに気になる存在になった。この先2枚目、3枚目のアルバムができたときにどんな舵取りをしているのか、こまめにチェックしていきたい。