サマソニ自体のライブレポと、チャンスのライブレポはまた月曜にでもあげますが、とりあえずチャンスを生で見て、そしてツイッターを見て思うことを吐き出そうと思う。
私がどれほどチャンスを見たかったか。それは去年、サマソニのリーク画像に彼の名があって飛び跳ねたのに結局ポシャって来日実現ならずとなってからこの一年間ひたすらチャンスを待ってた。ずっと。そしてついにまさか一年後にリベンジが来るとは思ってなかった。冬にサマソニの発表を見てからもうソワソワしてしょうがなかった。
3月にあったロラパルーザのチャンスのライブをYouTubeで見て、どこを振られて何を歌えばいいのか研究した。まぁそればっかり聴くというわけにもいかないので完璧とはいえなかったが、最大限努力したつもりだ。
基本的に日本人にはラップは向いていない、と言われている。英語でラップされても何言ってるかわからないし聞き取れないし上手く歌えないし、そもそもノリもわからない。これは英語が母国語じゃないことと、ノリが日本人すぎること(詳しいことは省略する)が原因となっている。それは事実だ。紛れもなく。
そして、このチャンスのサマソニ大阪でのライブはたしかにぎこちなかった。何度もチャンスが盛り上げようとしても、後ろのサポートが手を上げさせたり「make some noise!」と煽ってみたりしても、やっぱり日本人だった。私はどうせそうなるとわかってた。自分自身もシャイだしフゥーー!なんてそう言わない。でも、だからこそ、めっちゃ気合い入れて行った。フゥーー!言いまくったし叫びまくったし踊り倒してやった。そりゃあのエリアでは外国人のお姉さんたちにも負けず劣らずで踊った。正直それでも歌詞を忘れてしまったり、予定外のところで振られて歌えなかったこともあった。でもやれるだけやった。やれるだけやったらすっごい楽しかった。こんな楽しいライブまじであんのか、ってくらい。終わった時には泣いていた。嬉しくて楽しくてやりきって泣いた。そしてチャンスが素敵すぎて泣いた。
きっと、部外者はツイートを検索して「チャンスガラガラ」「ノリ悪い」「チャンス、こんな静かなライブ初めてだと困惑」といったものを引っ張ってきて「これだから日本人は」とまとめるだろう。特に偉そうな音楽ライターは。現場にも来ないでそうやってまた我々を悪く言うのだ。
でもちょっと待ってほしい。たしかにその発言はあったし戸惑ってたし人も少なかった。けど私たちは盛り上がってないわけでも適当にあしらったわけでもない。個人個人にスポットを当てればみんなチャンスに心を鷲掴みにされていたはずだ。少なくとも私はそうだ。もう放心状態だった。それを無視して「これだから日本人は」で語るのはやめてほしい。
逆に問う、じゃあ貴方達はそんな事態にならないように何か策を講じましたか?自分の出版物でもブログでもなんでもいいから「これだけは覚えていけ!チャンスの歌詞!」みたいなトピックを作って啓蒙活動をしたのか。なにもしないで歌えない人たちを炙り出して「これだから日本人は」という姿勢は到底納得できない。
最後に私がフォローさせていただいてる方のツイートに対し、あまりに感動したので許可をいただいて引用させていただく。
chance the rapper。歌いきった、叫びきった、手を挙げきった。歌えない観客にもひたすらアプローチし続けて。最後、小声でも歌い返した観客に喜ぶチャンスを見て何故だか泣けて仕方なかった。これが第一歩なんじゃないか。
— ネアン (@rncRuFSMcBEjzWf) August 18, 2018
これが現場だ。これだよこれ。このツイートみた時本当に泣けた。最後の最後、「Same Drugs」でちょっと歌ってくれたお客さん。それをみて満面の笑みのチャンス。「やるじゃん日本!」って思ってそうなあの笑顔を私ははっきりみた。というかみんなみた。第一歩だよ。これをクサす人はなにもわかってない。このツイートこそが全てで現場で歴史なんだと。そう私は思う。これで終わりにしようとする人たちと、これが第一歩だと確信してる現場の私たち。どっちが正解とかないけど、でも第一歩って信じたいじゃないすか。まだまだ日本には馴染みのないものかもしれない。ワンオク見てた子達にはわからないかもしれない。でもいいじゃない。これからだよ。本当に今日本の音楽の新たな一歩の足音が聞こえたんだよ。そんな気がしたんだ。あの夕日をチャンスと一緒に見たんだ僕たちは。新しい音楽の夜明けの眩しい太陽だった。
はじめまして。僕もその場にいました。なんか記事を読ませて頂いてお礼をいいたい気分になったので書き込ませていただきました。
恥ずかしながら名前くらいしか知らなかったんですが、本当に本当に感動しました。おかげで一番みたかったはずのSt. Vincentには遅刻しました!(笑)確かにワンオクと比べてガラガラだったけど、それを批判するだけの意見を見ると悲しくなります。そんなことより、どれだけ素晴らしいライブだったのかを見ていない人に知ってほしい。現場の気持ちを代弁していただいて本当に感謝です。とてもマジカルな時間でしたよね。
東京のみんなは歌詞をバッチリ覚えてチャンスを喜ばせてくれてたみたいて、うれしい限りです。このライブを見れたことを心に刻んで、またいつかチャンスが日本に来てくれることを心待ちにして明日からも生きていきます…
コメントありがとうございます。
お礼だなんてとんでもないです!!ひとまとめにされてしまいがちですよね、でも個人個人にスポットを当ててみると人生の一コマに残るような体験だったことも忘れないでほしいという想いで書きました。
さすが東京ですよね笑
こんどは単独でみたいです!!!
>ワンオク見てた子達にはわからないかもしれない
結局お前も音楽ライターと同じようにバイアス掛かってんじゃん
聴いてる音楽でマウント取んなよだせえな
コメントありがとうございます。
先の文章は「ワンオク見てた子達は(さーっと帰って行ってチャンスを見なかったので、今の時点では面白さが)わからないのかもしれない」という意味で書きました。決してワンオク好きの子にはチャンスの良さなんかわかるわけないだろ!という嫌味ったらしい意味はありません。誤解です。
ただ誤解させるような文章であったことは謝ります。ご指摘ありがとうございました。
聴いてる音楽でマウントとるのはダサいですよね、激しく同意します!
私もマイクの時からチャンスまであの場にいましたが、その意図なら
「ワンオクが終わって帰ってしまった子たちは惜しいことをした」と書くのが適切だったのかもしれないですね。
でもフェスって好きな音楽を自由に選べるものだから、ワンオク見てた子達と名指しするのは違和感を感じます。他のステージを見ていた人たちにも、そこから移動してこなかった誰もに同じことがいえるわけなので。
ワンオクを見てサンボマスターに走った人よりも、ワンオクのまま残ってチャンスを楽しんだ人の方が偉いような、誤解を産みかねない余計な一言だなと思いました。
コメントありがとうございます。仰る通りですね。ワンオクTの人たちがたくさんいてわかりやすく移動が把握できたのでついそれに乗じて名指ししてしまいました。偉いとか偉くないとかはないですよね。そこだけは皆さんと同じ感覚である事は強調させてください。誤解されるのは私の責任ですが。あと歌えようが歌えなかろうが楽しんだもん勝ちであることも併記させてください。私は一緒に歌う事を一つの目標にしてましたが、それが正しいライブ鑑賞の形だと主張したいわけではありません。
冷静なコメントありがとうございます。これからの文章作成の糧にします。
いや、明らかに質が低いのは確かだろう。あなたが謝る必要もない。
これを好き嫌い軸だけで、好き嫌いで物事を決めてしまって閉じるから、音楽が日本だけは死につつある。鎖国状態になって詰まっている。一見正しいようで、過去数多の音楽に殉じて、創造性ある世界を作ってきた人たちへの冒涜でもある。
チャンスとはレベルが違いすぎるだろう。
ワンオクは優れたティーン向けバンドではある。でもチャンスと比べれば質が低いのは確かだ。
パイオニアでもなく、時代性もなく、借り物フレーズで、先駆性も、創造性も乏しい。ロック風の音楽をやっている。そして何より音楽への敬意が違う。自分たちが格好よければいいエゴと音楽に殉ずるのとは全く異なる。仮にロックに敬意を持っていたら、口がさけても「ここを日本のロックの中心にする」なんて恥ずかしいことは言えない。いや、反発小僧でそういう事を言うならいいが、ロックを借りてロック風に格好つけてるだけだし。
創造性や時代性や先駆性の軸で好き嫌いを形成していく音楽世界を望むけどね。俺は。
コメントありがとうございます。私はワンオクがそのようなバンドだとは思わないのですが、トレスぽさんがおっしゃるようなバンドはたしかに私も好きになれませんね。トレスぽさんにとってワンオクがそのようなバンドであるというなら、それ自体は納得します。
創造性や時代性や先駆性の軸で好き嫌いを形成していく音楽世界ってどんなんでしょうね。想像したらワクワクします!
子供向けロック風バンドをそのように大人が表現することは大事。
マウントとかわかった風な、その実、ネット上の言論でよく見る表層的批判の方がよほど子供や音楽をばかにしてる。
変に、人それぞれなんだからなんて言いながら物分かりいいようにして、集団アイドルしか売れない音楽鎖国になってる。聴く力は消えてしまっている。音楽が流れていないから、子供によって選択されたネット上の多くの音楽的な映像には。優れた音楽が大半の子にもう届かなくなってる。
子供向けロック風バンドと大人が言い続けることで背伸びをする子が出てくる。背伸びをして世界が広がっていく子がいる。厳然とレベルの違いはレベルの違いとして言い切っていいと思うね。
多様性を認めることは大切ですけど、それが単なる物分かりの良い”妥協”にはなってほしくないですよね。あまり優れたとか劣ってるという言葉は使いたくないですが、正直私もテレビをよくみるのでそういう音楽があるなと感じることもあります(具体的に何というのは控えますが笑)
最後の、背伸びして世界が広がるってのは大賛成です!!!私もそうでした。ちょっと大人ぶって聴き始めたのが全ての始まりでしたし。たしかにみんなあまり背伸びした音楽を聴いてない気がします。良くも悪くも等身大というか、距離が近いというか。一長一短なんでしょうけど。
例えば、今、テレビで崎山くんの話がサマソニ絡めて出てきた。
でも、そこには彼のフレーズや音楽については何も語られず(おそらくカットしている)、歌詞の世界だけがクローズアップされる。
音楽については、要素ではないかのように。音楽の話なのに歌詞の話しかない。
テレビに関係する大人も、すでに音楽がわからないのだ。音楽の話はいつもこうだ。歌詞はまだいい方、作品の一部だから。だいたいは演奏する人の生活や興味の話しかない。
メディア関係もグレイなんかで育っているから。
そういうことは声を大にして言う人がいないと、結局音楽に敬意を払ってる方がマイノリティにされてるから。
フレーズや音楽の凄さは、結局、質が関係してるけれど、そういう質の話をマウントなんて言葉で消し去るような言論こそが、唾棄すべき言論だろう。たとえ素人の書き込みだろうが。ノベルさんの方が何倍も音楽を愛し、音楽を語ろうとしていると思う。
確かに音楽の話ってあまりないですよね。関ジャムとかもありますが。アーティストの生活の話ばかりなのはちょっと不満でもあります。音楽の愛を比べるのは簡単ではありませんが、そう言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます。
返信分けてすみません。
コメントありがとうございました。