こんな記事が話題を集めている。

https://www.sbbit.jp/article/cont1/35768

これが少々煽り気味であること、関係者の意見があくまで個人のものであることも踏まえた上で、すごく時代錯誤な考えだなと心底ガッカリした。いや、わかってたけど、でもやっぱりこうやって言われるとすごく疲れる。

「まず、ちょっと厳しいことを言いますね。映画ファンがTwitterなどで邦題に文句をつけているのは私もよく見かけますが、洋画の原題まで気にしている人なんて、おそらく数千人程度です。いくら邦題がクソと派手にバズったところで、せいぜい上限は1万人でしょう」

から始まるこのインタビュー。内容はリンク先で読んでいただきたいが、苦しい現状であることは痛いほど伝わってくる。映画というコンテンツがいかに苦戦してるかが如実に分かる内容になっている。そこは理解するし、映画好きとしても、この現実は打破してほしい。そのための協力ならできることはするつもりだ。違法アップロードもその視聴ももっと口酸っぱく糾弾し続けていくとか、なるべく映画館でお金を落とすとか、好きな映画はことあるたびに友達にオススメするとか、個人で出来ることはそう多くないが、このブログも年40作ほどだが、レビューを投稿しているのもその一つだ。

しかし彼はこう続ける。

このような映画に訪れる観客ひとりあたりのチケット単価が仮に平均して1400円くらいだとすると、1万人は興行収入(興収)1400万円分でしかない。マニア向けの映画ならともかく、興収10億円以上、動員100万人レベルを目指すような中規模以上の洋画なら、その配給会社がたかだか1%やそこらの声だけを判断基準にすることはできないんです。 

彼は2019年、この先どんな時代になるのかを考えたことがあるのだろうか。自社コンテンツに深い愛を持ってくれて積極的にお金を落としてくれる人たちを「たかだか1%」とこき下ろす。確かに数は多くないかもしれないがその質は決して軽視できない。99%の違法アップロードで視聴したり観に行ったタイトルすら覚えてないようなリピート率を上げにくい流動的な人たちをターゲットにして、作品が良ければインフルエンサーにもなってくれて広告効果もある1%を蔑ろにすることのどこがビジネスなんだろうか。インタビュー全体を通して彼は「ビジネスなんだよわかれよ!」ということを暗にほのめかしてる。バカではない、そんなことわかっている。お金にならなきゃ結局私たちが損する事などずーっと理解している。だから先日発表されたサマーソニックも、それなりにガッカリしたとしても集客出来るならと納得してみたりするのだ。

だからと言って「ビジネスだから」を言い訳にして自分達の状況を開き直らないでほしい。映画というカルチャーを担う人達は、どんな苦境に立たされても「カルチャーを高める」「自分の好きなものを日本に広めたい」という愛は失ってはならない。これは全然綺麗事じゃない。仕事とはそういうものだ。拝金主義になったって先はない。それは多くの先人達が示してきた道だ。

こと2019年において、未だに儲けが一番、儲けるためなら何をしたって構わない、というスタンスが果たして正しいと言い切れるのだろうか。明らかに逆行している気がするのだが。いまはニッチな需要に応えていくこと、誠意を持って信用を作ることが大切であると考えている。炎上商法なんて意味がない。一時の話題性なんか結局ファンはつかない。それ以上に大きなアンチを作るだけだ。

映画業界やテレビ業界は「こうするとこうなるに違いない」という思考回路に陥っている気がする。フルコーラスで歌うと視聴率は悪くなるに違いない、芸人を歌の途中で入れないと画が持たないに違いない、吹き替えに認知タレントを起用しないと売上が上がらないに違いない、が未だに横行している。もちろんそこに違和感を抱く業界の方が多いのも承知しているが、彼らのトップがその姿勢を崩さないから変えようがない。

だからといって「じゃあ諦めます」「世間はどうせバカだし」「誰も観てないし」「世間が求めてるし」で片付けるのはやめてほしい。それはあなたの努力と才能とセンスと知識と力量と地位が足りないだけだ。世間のせいにするのだけは勘弁してほしい。あまりに無責任すぎる。そこまでしてあなたにそのカルチャーを担ってほしいと思わないので是非辞職していただいてもっと情熱とセンスと力量を持った人たちと交代してくれればいい。「世間を低く見積もります」「ファンは蔑ろにします」「でもお給料はたくさんほしいので仕事はたくさんこなします」は害悪でしかない。違う意味でブラック社員だそんなもの。急な例えで申し訳ないが、私の勤める企業にもそんな人いないと思う。みんなそれぞれ正義感があって芯があって、もちろん思い通りなんかいかないけど誰も諦めてない。私もそうだ。それがビジネス的にできない事だとしたら代替策を探すし、「しゃーねーじゃんバカなんだもん世間がよう」なんて逆ギレは絶対しない。そんなダサい事しない。

大人になったら学歴は関係ない、とはよく言われるが、それが仕事の出来の有無ではない事は最近わかった。その人の芯、価値観、アンテナ、感覚が無い人は学歴関係なく、いくら仕事ができようと「この世の中を良くする」ためには全く必要でないのでさっさと隠居してほしい。むしろ邪魔でしかない。趣味もなく週末にBBQとスノボと酒飲んで昔の話しかする事がない人は、本当にそれだけしてて一生を終えてほしい。テレビとか音楽とか映画とか美術などの文化的なジャンルに首を突っ込まなくて結構だ。「たかだか1%」と2019年に言ってしまえるような錆びたアンテナしか無い人にはわからないだろうが、いまはそんな事を言える時代じゃないんだ。その1%を2%にしたり、育んだりする事がこの先生きていくために必要な事であり、無差別に金ばら撒けばなんとかなるなんて考えが古すぎる。

全部を改善しろ、1%のナードの意見を尊重しろ!なんてことは言わない。そんなの無理だ。主張と逆転するが、やっぱり企業的には「たかだか1%」なのは事実だ。その1%のためにリスクを背負えなんて無茶である。だからこそ常に努力し続ける意味があるし新しい意見とか新しいビジネスやサービスが誕生する。そして少しずつ良くなっていく。明日から一気に変わらなくても構わない。音楽もようやく転売屋が逮捕され始め違法アプリでの視聴の取り締まりも厳しくなった。去年、無料で漫画が読めた漫画村が閉鎖されたのも、やっぱり漫画を愛する人たちの努力あってこそ。大人になるとそういった「情熱」とか「愛」って、軽視されがちだが、よく見るとむしろ世界は人間の気持ちだけで構成されていることに気づく。お金は人の信用によって成り立っているし、景気は世間の「お金使いたい」という気持ちによって左右される。テレビで差別的な発言があるとツイッターなどで炎上し(適正かどうかはともかく)裁きを受ける。嘘を報道すればちゃんとバレる。決してお金にならなくても(お金目的な人もいるが)正しさを貫こうとする人間達の思いの塊がこの世の中を動かしている。まれにそれが過激になりすぎてしまうこともあるが、決して「情熱」や「愛」「気持ち」は軽視できるものではない。

マスコミも映画業界も音楽業界も「それが仕事ってやつだから仕方がないだろ」は言わないでほしい。変わらない現状やビジネスとの両立という狭間に立たされるのは仕方がないが、諦めるのだけはやめてほしい。そこまでしてあなたに続けてほしいとは思わない。マスメディアと呼ばれる人達がバカに迎合するようになったら本格的におしまいですよ。

最後に、このインタビューで登場するA氏が決してそうだとは思っていない。(存在するなら)本当はすごくコンテンツに愛があって、そのためにすごく賢い頭を使って様々な可能性から適正にこなそうという意思が見えるし、スマートな方なんだというのは伝わる。この記事自体も決して一面的でなくちゃんとフェアに現実を伝えようという思いがある。ただこの記事の裏には無数の有能が故に無能な社員がゴロゴロいることは忘れない。その人達が成仏してくれない限り映画の復権はないよ、当たり前だけど。