銀杏ボーイズ

前回のアジカン編を経て、手ごたえを掴んで(いつもに増して誰にも読まれていないのに)この調子でいろんなアーティスト聴き直してみようとする。

第二弾は、銀杏BOYZ。GOING STEADYの後に峯田和伸を中心に結成されたバンドで、現在は峯田のソロプロジェクトになっている。

そんな彼らのファーストアルバムは「DOOR」と「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」の二つになる。どちらが先とかは特にないが、とりあえず「DOOR」から聴いてみることにした。

1st 「DOOR」

結論から言えば、第二弾にして早々、ドロップアウトをしてしまった。たった一枚で。あまりの肌の合わなささにこれ以上の続行は不可能だと悟った。

残念ながら今から彼らを褒めることはない。ただ、正直な感想を述べるだけである。もちろん「クソ過ぎて最高」みたいな逆張りや悪口が最大の賛辞、みたいなことも起きない。シンプルに真正面から受け取ってもらっていい。

どんなバンドであるかは何となく理解はしていた。全裸になって書類送検されたとか、童貞の歌とか、非モテにつきささるとか、ライブシーンで伝説化してるとか、レジェンドで多くのフォロワーを生み出したとか、そういう武勇伝と彼らに救われた人たちの熱いパッションだけを受動的に聞かされて、実際の音源には触れたことがない状態が今の私だ。だから正直、好きになることは大大大逆転でも起きない限りあり得ないだろうとは察していた。それでも、素晴らしい点は見つけられる自信はあったし、なんなら「聴かず嫌いだったけど、意外と聴いてみて良さに気付けた」というコメントまで脳内に用意していた。正直ね。

ただそれを見事にぶち壊してくれた。破壊衝動、女の子への収まらない性衝動と振り回される悲哀。「銀河鉄道の夜」や「夜王子と月の姫」といったゴイステ時代の楽曲も収録されているが、活動スタイルは前バンドと地続きである。

まず私が30手前にして通勤時間に彼らの音楽を聴いたのが出会い方として間違っていた。全く刺さらない。むしろうっとおしい。安定しないピッチや潰れたミックス、何を言いたいのかわからない歌詞など、そこに文学性や価値を見出せる環境に身を置いていない自分のミスである。13年ほど前に出会うべきだった。

とはいえ、歌っている峯田本人は当時、現在の私と同じ年齢。私の年齢でこのアルバムを作ったのかと思うと寒気がした。こういうバンドなんだと理解をしていながら、ちょっとこの熱量についていけないどころか、広い心で理解すらしてあげられない。

聴いているうちにイライラが募り、不快指数だけがあがっていく。なんてひとりよがりでなんて傲慢なんだと思い始める。だからこそエモーショナルで、だからこそ多くの同じ境遇の若者たちの心をつかんだのだろうが、私の心は遠ざかるばかりだ。
そもそも「綾波レイが好き!」と何度も叫ばれても綾波レイがイマイチわからない自分に彼らの音楽とパッションが伝わるはずもなく。ただの30手前のおじさんが痛々しい低俗なセリフを吐きながら自己防衛に走っているだけにしか聞こえない。
そして、この手のジャンルのバンドの唐突なロマンチスト宣言。泥臭いことを歌って身を曝け出した上で突然歯の浮くようなことをさらっといってのけるメンタリティがいつも私にはわからない。屈折した人間だからこそ真っすぐな言葉が身に沁みる、とでもいうのだろうか、私にはヤンキーのゴミ拾い程度にしか見えない。タウリン1000mgは1gである。

そんなタウリン1gの1000mg表記を延々と恥ずかしげもなく雑音と共にお送りされて、とうてい名盤と呼ばれている意味も分からず、結局最後まで聴いて虚無の感情しかわかなかった。

まとめ

というのが私の銀杏BOYZの感想である。
いやいや、あのアルバム聴かずして評価してんじゃねえ!なんて声も聞こえてきそうだが、私は音楽は楽しむために聴いているのであり、修行ではない。たとえ金塊が奥底にわずかに眠っていたとしても、手作業で800mも掘り進めるなんて到底気が進むはずもなく。

ライブをみたらわかるよ!っていうならライブに招待していただけたら行きます。交通費もよろしくお願いします。