マルチタレント

チャイルディッシュガンビーノ(Childish Gambino)という人物がいる。アメリカ出身のミュージシャンであり俳優でありコメディアンであり作家でもあり脚本家でもある。多才な彼は、もはや音楽でも敵なしと言っていいほどに大成功をおさめ、2019年に行われたコーチェラフェスティバルでもトリを務め、俳優ならではの圧巻の演技と演出で会場を沸かせた。

日本にもそんなマルチタレントはいる。福山雅治だってそうだし、星野源もそうだ。歌手と俳優の二足のわらじは結構多い。同じ人前でパフォーマンスする部分では近しいものもあるのか、才能をいかんなく発揮している人がいる。柴咲コウだって、満島ひかりだって、原田知世も女優と歌手を両立させている。

ただ個人的に忘れられないマルチタレントが藤井隆、コメディアン兼ミュージシャンである。

吉本新喜劇でオカマ役として人気に火が付き、お茶の間のスターになった藤井隆。決して彼はお笑い芸人になろうとしてなったわけではなく、会社の経理として働きながらデビューしたのだ。

おそらく藤井隆は皆の記憶には残らない。ファンはいるだろうが。
ナンダカンダ」流行ったよね、ぐらいしか言うことがない。あと何に出演してどんな面白いことを言ったのか覚えていない。わずかに「あらびき団でてたよね」と「土曜はダメよ、でいつもシュールだった」くらいしか出てこない。
だからもっともっと深く知りたい。彼が一体何者で何を信念としているのか知りたい。掴めないものこそ暴きたくなる。今日はそんな話。

志の低い素人だった

「ホット!ホット!」で一躍人気者になった藤井隆。
しかし当時は、吉本新喜劇で出番を終えた後に舞台袖で笑っていると「お前を笑かしてるんちゃんうぞ!」と叱責されたりもしたそうで、
自分を「程度が低い人間だった」と語っている(テレビ番組[A-Studio] 2019年2/22 O.A.より)。
それでも座長である石田靖や辻本茂雄、内場勝則などから丁寧に指導を受け、日々成長していた。
また、自分にはNSCに入ったわけでもオーディションで入ったわけでもなく、単なる吉本の経理の人間が志低く続けることに違和感を感じた藤井は休業し、海外へ。
しかしそこでの生活で気づいた、吉本での楽しかった日々と新喜劇に出られたありがたさは藤井を反省させる。また日本に戻っても新喜劇に戻れなくても、小道具でもなんでもいいから新喜劇に携われる仕事がしたい、と思うようになったそうだ。
帰国後、彼を案じていた吉本の担当の人間がすぐに復帰への道を作り、何事もなかったかのようにお笑いの世界に戻れたことを今でも彼は感謝している。
総じて自分をラッキーだと自負するのが藤井の本質である。
その後も彼はマルチな才能を発揮、決して無理に笑いは取らないで、でもどこか不思議なオーラで笑いを起こしていた。2005年に乙葉と結婚、その後は司会や俳優、プロデュース業など幅広い活躍をしている。そんな彼を音楽に絞って考えてみたい。

歌手としての藤井隆

彼はお笑いのみならず、歌手としてのデビューも果たしているのは有名だろう。
浅倉大介が手掛けた「ナンダカンダ」は大ヒットとなった。
その年の紅白歌合戦にも出場し、時の人となったが、多くの人はそれくらいしか記憶にないだろう。しかし、近年再び藤井隆は音楽ユニットのメンバーとして、時に歌手として、そして時にプロデューサーとしていかんなく才能を発揮しているのだ。
まず手始めに島田珠代とのユニット「T&T」で作詞作曲を手掛けると、椿鬼奴とレイザーラモンRGとのトリオ「Like a Record round! round! round! Japan」では2012年に本格的なデビューも果たしている。

2014年には当時新進気鋭のトラックメーカーだったtofubeatsと「ディスコの神様」でコラボを果たすと、翌2015年にはオリジナルアルバム「Coffee Bar Cowboy」をリリースしている。また2017年にもアルバム「light showers」をリリースし、かなり音楽活動に力を入れていることがうかがえる。

プロデューサーとしての藤井隆

他人を手掛けることも得意とする藤井は、早見優の2016年の作品「溶けるようにkiss me」を作曲兼プロデュースしている。
また2019年には鈴木京香をプロデュースし、CDデビューまで果たさせている。
他にも「ありそうでない90年代のCMパロディ」なるものを制作し、界隈では話題となったことも覚えている人はいるかもしれない。
こうした彼のうまく人を笑わせながら惹きつける塩梅は他の人にはできない独特なものとなっている。



藤井隆という人間

ここまでざっくりと彼の経歴を話してきたが、ここからはもう少し踏み込んで彼のパーソナリティを探ってみようと思う。

自身が語るに、幼少期は「お前は親戚に媚びを売り過ぎだ」とも言われていたらしい。「手盆ですいません」「痛み入ります」などを使って褒められたかった、と語る。褒められる術を身に着けていたのだ。しかし、そのスキルは大人になっていかされているのだろうか。むしろ、その打算的な部分がないからこそ今の藤井があるのではないか。

藤井さんは、歩みをかなり緩めて、スタッフ一人ひとりと目を合わせながら笑顔で「おはようございます」「こちらこそ、よろしくおねがいします」と挨拶を返しつつ、化粧台へと向かいました。
こちらも準備をしながらなので、「ざーっす」「よーっす」とスタスタ通りすぎてもまったく気にならないところです。というか、それが普通ですね。
ただ目を合わせて挨拶してくれた、というだけで現場の士気がぐんと上がるのを感じました。
そしてインタビューが非常に良い内容で終わって、撤収の時間。
駐車場で荷積みをしていると一台の車が速度を落とし、窓を開けて「おつかれさまでーす!」と大きな声で挨拶して去って行きました。もちろん藤井さんです。
ああ、好き! なんていい人なんだろう!
帰ったらあらびき団をYouTubeで見て、ナンダカンダを聞こう!
当然ですが僕が同じことをしても、ここまで好かれはしません。
これ、悪い書き方に思えるかもしれませんが、「芸能人だから」なんですよね。
でも、その時の藤井さんからは「芸能人のオレが腰低く挨拶して嬉しいだろう」という驕りも、「僕なんかが、すみません、よろしくお願いします」みたいな卑下もありませんでした。
それが才能だと思うのです。

藤井隆はいつでも謙虚だ。謙虚であることはそんなに珍しくないし、そこまで取り立てることもない。でも彼はそれ以上にぐにゃぐにゃしてる。人に盾突くような芯を決して持たない。「謙虚でいよう」「謙虚でいることが芸能界で生きていく秘訣だ」みたいな打算がない。
そしてその時々で発言が変化する。こちらが彼を掴みに行こうとするとスッと一歩下がって掴ませない。そしてまた姿を変える。私たちはまた彼を探す作業から始めなければならない。
手はどこだろう。どこを掴めばいいのだろう、と思い倦ね、ようやく見つけた服の袖をつかもうとするとまた「いやいや僕なんか」と一歩下がる。彼の本質は掴めない。まさに”奢り”も”卑下”もない。ただ自分に謙虚で正直なだけなのだ。


歌詞に「君は僕のことを嫌いになればいい」「人の陰口にも僕は二度と恐れない」って出てくるんです。一番に出てくるところは多分恋愛何ですけど、二番目のところでそういう強い主旨宣言みたいなものが出て来て、僕はやはりどこか自分の存在の仕方に飽き飽きしてるところがちょっとあって。
——どういうことですか?
やっぱりテレビに出させていただいて「今度もご覧ください」って仕事をしてる以上、「僕のことを嫌いになればいい」なんて言えるわけないのは重々承知なんですけど、でも、25年テレビに出させていただいた上での話ですし、それを否定するつもりは全くないんですねけど、自分自身で考えて失敗したことってたくさんあるんですよね。それはほんとに嫌だな、もう忘れて下さい! っていうこともあるんですね。
そういうことも含めてやっぱりずっと引きずってしまっていたり。あとこういう取材とかでも——取材していただく側なんで絶対言っちゃいけないんですけど、でもやっぱり今は記事が残ることもありまして自分が言ったことも湾曲してる事もあって。そんなこともラクラク乗り越えなければいけないキャリアですし、それを笑いに変えなくちゃいけないんですけど、でも結局、音楽のことに関していうと嫌でも自分をさらけ出さなきゃいけないんですよね、で、嫌でもさらけ出した部分を湾曲されちゃうと、もっと照れくさくなって、「違うんです、違うんです」ってことになる。
でも『Coffee Bar Cowboy』の頃は冨田さんは特になにもおっしゃらなかったんですよね、僕が怒ってる時期だったので。腹が立ってる時期だったので、それをそのままにしてくださったかな。でも今回はすごく厳しかったです。
——何に腹を立てていたんですか?
当時ですか? もう忘れました(笑)。

むしろこのエピソードが彼を支えているのではと感じる。自分を過大評価せず、むしろ”飽き飽き”している。嫌われたくなくて「手盆ですみません」と言っていた子供の藤井隆は、大人になって周りへの対応に気疲れを見せ始める。ならもう”飽き飽き”した自分だから、湾曲されて嫌いになっても良い、とまで自分を見離す。そう今まさに私が湾曲した解釈をしたこの瞬間も藤井は「君は僕のことを嫌いになればいい」と言う。


10年ほど前、関根勤さんにかけていただいた言葉は、特に強く心に残っています。
ある仕事があまりうまくいっていないという話をしたら、関根さんは『失敗したことは、ほとんどの人は忘れてくださるものだよ』とおっしゃったんです」

クリエイター藤井隆は譲らない

だからと言って藤井は自分の仕事に妥協はしない。綿密に企画を立てきちんと筋を通して仕上げている。でなきゃ今の地位はない。

鈴木さんの歌声を聴いてみたいな、と思いました。歌が無理なら鼻歌でもいいので聴いてみたいなと思いました。ご友人とカラオケに行ったりなさるのかな?とか移動車の中でマネージャーさんは鼻歌を聴いた事があるのかな? と想像してたらヤキモチを焼いてしまいまして、私にも鼻歌でいいから歌っていただけませんか? わたしレーベルをやってまして。CD出していただけないでしょうか?30周年の記念にCDを出すのは無理でしょうか? って企画書を書いて。曲は冨田謙さんとDE DE MOUSEさんとtofubeatsさんの3人に作ってもらいたいって」
「僕もバカじゃないので、絶対こわがられちゃいけないと思って。企画は口頭じゃなくて紙にするのと、絶対マネージャーさんを通すのと、マネージャーさんによいタイミングでお渡しくださいってお願いして。すごいセリフ量をしゃべる舞台だったので、あまり本番前にやっちゃいけないなと思って、そういうことを鈴木さんのマネージャーさんに教えていただきながら進めていきました。

藤井隆は丁寧だ。常に先回りし、相手を気遣う。気遣って先回って、でもちゃんと自分の意思は伝えるしやりたい事は素直にやりたいと口にする。その誠実さとちょっとクリエイターとしての欲や闘争心が同業者の心をくすぐる。だから支持が熱い。鈴木京香を歌わせるにまで至る。
低姿勢なのに嫌味がないのは本心をきちんと出しているからだろう。なんでも控えめで自分の意見がない人間にはここまでの人望と評判はない。
藤井隆が、いわゆる音楽好きの間で再評価され始めたのはtofubeatsとのコラボ曲からだと個人の感覚としては記憶している。当時大学生だった私は、その曲をやたら軽音学生がオススメしていたのを覚えている。その後、「Coffee Bar Cowboy」をリリースし、イベントにも出るように。私も以前、藤井隆の出演するイベントに参加し(そのイベントではKAKATOや砂原良徳などが出演していた)、彼のライブを堪能したことがあるが、出てきてから一貫して低姿勢で笑顔で、敬語で客に接していた。曲終わりの「ありがとうございます」も一礼が必ずある。でもパフォーマンスは手抜きせず、汗だくになりながら笑顔で手を振ってくれた。

ライブ後に握手する機会があって、買ったCDを持って握手しに行くと、ありがとうございます!と満面の笑みでサインまでくれた。その対応は私も後ろの人にも変わらず、誰に対しても終始丁寧だった。

楽曲自体の完成度もさることながら、彼自身の人柄こそが、こうした近年の活動の幅の広さにつながっているのではないか。

椿鬼奴とレイザーラモンRGとのトリオ「Like a Record round! round! round! Japan」でも、90年代のCMをパロった動画を作った事も、全て藤井隆は妥協していない。そして他意がない。いじわるな視点もない。先ほど「芯がない」といったが、クリエイターとしての芯はバリバリにに持ち合わせている。


──藤井さんには80年代好き、歌謡曲好きみたいなイメージがあったと思うんですが。
藤井そう思われてもしょうがないことを言ってきましたし、好きは好きなんですが、決して詳しくはないんですね。じゃあ90年代に詳しいかって言ったらそんなこともないんですけど、僕は1972年生まれなので、結局90年代のものに影響を受けているんじゃない?っていうズレは薄々感じてて。深夜のテレビでえげつない本数のCMが流れてたじゃないですか。僕はそれで育ったと思ってるんです。

最後に、藤井隆の音楽やCMのパロディについて私が感じることを一つ挙げる。それは、いやらしさがないことだ。
近年、ファッションにおいても90年代あたりのリバイバルが来ている。ちょっと古くてオールドスタイルな感じがオシャレであり、シャツインしたり派手な柄のシャツを着たり長い靴下をはいたりする若者が多い(私もそれに影響されている所もある)。あえてフィルムカメラを使ったり。ファッションの専門家でも何でもないが、そんな空気感を感じる。

音楽もすこし前の80年代のような力の抜けたものも多く、一見すると藤井隆の音楽も「いかにも」その潮流に乗ったわざとらしい作品にも思える。なのにいやらしさがない。「あーこれ流行に乗っかってるな」「誰かの受け売りだな」みたいな感想が思い浮かばない。それは上のインタビューに答えがのっている。彼は意図して狙っていない。何がどうオシャレでかっこよくてどんな文化であるかを深く理解していない。ただ思いつくままに自分が体験したものを再現しているだけだ。だからわざとらしさがない。ここにも藤井隆の打算のなさがうかがえる。

まとめ

彼の音楽を聴いてほしい。彼のライブを見てほしい。戦略がなく、意図的なものがない、シンプルなライブがそこにある。楽しいことだけしましょう、笑ってください、のメッセージだけ受け取る。
謙虚だけど、うまく自分の要望は伝えられる、すごくやり手のサラリーマンのようだ。それでいて表現者としても一流なのだから藤井隆を愛さずにはいられない。



友人である清水ミチコは


「藤井隆は裏に豪華なものを使う。」


と評する。決して表には出さないで、徹底した作りこみで観る者を納得させる。そしてそれに協力したいと思わせる魅力もある。
私は彼のような人間になりたいと心底思う。