私が中学生くらいの頃にはですね、大層貧困な表現者がたくさんいましてね、そういう表現力のカケラもない歌詞が跳躍跋扈していたんです。まるで中学生の交換日記のようなですね、そんな良く言えば「ストレート」な、悪く言えば、いや、悪く言わなくても「バカっぽい」歌詞ってのがたくさんありました。だれの話ではありません。でもそれは当時の若者のニーズをきちんととらえていました。だからそういった類の歌はとにかく流行りました。いまの10代の若者はまあ大人びていてですね、「一生一緒にいてくれや!」よりも「すべてを愛してたあなたと共に胸に残り離れない苦いレモンの匂い」って言った方がキュンと来るらしいんです。まあなんてませたクソガキですこと。私たちの時代はグランドであと一つと叫んだり、あいうえおかきくけこ!!と50音を歌ったりブンブンブンブンと蜂になりきったりと好き放題していたんです。
まるで中学生の日記のようだなんていいましたが事実「中学生日記」なんて本がベストセラーになってですね。去年の芸人のベストセラー知ってます?オードリー若林の「ナナメの夕暮れ」ですよ。ずいぶん時代は変わったもんだ。



繰り返しますが本当にストレートであればストレートなほどウケた時代が2000年代後半でした。携帯小説なんてものも流行りました。そんな時代に登場したのがヒルクライムさんでした。かれらは「春夏秋冬」という歌で大ヒット、一躍スターダムの階段を駆け上がりました。


この「春夏秋冬」はタイトル通り、一年中大好きな彼女といろんな思いで作りたいね!!という素直な感情をラップ(ぽい歌い方)でかっこよく歌いあげています。
でもこの歌詞ってよくよく見てみると結構言いたい放題で

花見 満開のの下乾杯 頭上広がる色は Like a ファンタジー

これが前半のAメロにでてくる歌詞なんですが、「春」以外にも「桜」「花見」「桃」は全て春の季語であるので、「春」と冒頭で言った以上、他の表現は重複扱いとなる。

同様にこの後もひたすら季語の重複が続いていく。ひとつずつ指摘するのは面倒なので上記のように春の季語には、夏の季語には、秋の季語にはオレンジ、冬の季語にはで色分けしてみた。

は照りつける陽の下でバーベキュー 夜になればどこかで花火が上がってる
紅葉の山に目が止まるにはそれがで白く染まる
全ての季節 お前とずっと居たいよ

今年のはどこに行こうか?
今年のはどこに行こうか?
も あなたと見たい あなたと居たい
今年のはどこに行こうか?
今年のはどこに行こうか?
紅葉もあなたと見たい あなたと居たい

また沢山の思い出 紐解いて ふと思い出す 窓の外見て
喧嘩もした 傷の数すらも欠かせない ピースの1つ ジグソーパズル
月日経つごとに日々増す思い
「永遠に居てくれ俺の横に」
今、二人は誓うここに 忘れない 思い出すまたの鳴く頃に

苦労ばっかかけたな てかいっぱい泣かせたな
ごめんな どれだけの月日たったあれから
目腫らして泣きあったね明け方 包み込むように教会の鐘が鳴るよ
重ねあえる喜び 分かち合える悲しみ 共に誓う心に さぁ行こうか探しに
新しい景色を見つけに行こう二人だけの

今年のはどこに行こうか?
今年のはどこに行こうか?
も あなたと見たい あなたと居たい
今年のはどこに行こうか?
今年のはどこに行こうか?
紅葉もあなたと見たい あなたと居たい

たまにゃやっぱり 家でまったり 二人毛布に包まったり
じゃれ合いながら過ごす気の済むまで
飽きたらまた探すのさ 行く宛
さぁ 今日はどこ行こうか? ほら あの丘の向こう側まで続く青空
買ったナビきっかけにどこでも行ったね 色んな所を知ったね

いつかもし子供が生まれたなら教えようこの場所だけは伝えなきゃな
約束交わし誓ったあの 夏の終り二人愛を祝った場所

今年のはどこに行こうか?
今年のはどこに行こうか?
も あなたと見たい あなたと居たい
今年のはどこに行こうか?
今年のはどこに行こうか?
紅葉もあなたと見たい あなたと居たい

今年のはどこに行こうか?
今年のはどこに行こうか?
も あなたと見たい あなたと居たい
今年のはどこに行こうか?
今年のはどこに行こうか?
紅葉もあなたと見たい あなたと居たい

 

 

 

 

桜に春の枕詞は必要ないし、雪に冬の枕詞は必要ありません。春以外に桜は咲きませんし冬以外に雪も降りません。もし冬以外に降る雪があるならその時に「夏の雪」などとあえて季節をつけるべきでしょう。あと各シーズンに思い描く季節のバリエーションが素晴らしく少ないのでそこはなんとかならないものかとも思いました。
なるほどそもそも繰り返しが多いのが気になりますが当時の音楽のトレンドって、サビはとにかく変えないっていうのがあったようにも思えます。
それにしても恵まれた時代に生まれたものです。こんなにご丁寧に想起のしやすいように季語を詰め込みまくって歌ってくれたら、国語の苦手な野球部のショートと見栄だけで付き合ってたスカート短いくせに足太い自意識過剰女子にも理解ができるというものです。素晴らしい着眼点と努力のたまもの。素直に。
最近こういった類の音楽があまりフィーチャーされなくなったのもトレンドの一つでしょうか。2010年代は若い人たちがやりたい音楽を野心持ってやれているのでとても見ていて清々しいなと個人的に思います。たとえそれが素直に「やりたいこと」でなかったとしてもです。

でも確実に俳句の世界からは追放されるとは思います。