オタクたちの熱意

ジャンルに限らず、オタクと呼ばれる人たちは重要な存在である。彼らがそのカルチャーを経済面でも文化面でも支え、啓蒙していくのだ。
自分がオタクかどうかは判断できないが、こうやって音楽のブログを継続して毎日音楽を浴びるように聴いている以上、その呼称は避けられないのではと思っている。何がオタクで、どこからがオタクなのかという線引きは難しく、明確なものは正直無いと思う。自称しても構わないし、他称されるものであり自称するものではないという考えも一理あると思う(事実わたしは後者の考えだ)。

ただ、あえてオタクとはどんな存在なんだろうと自分なりに考えたときに、ひとつ自分の中で思いついたことがある。他のジャンルは分からないが、ここでは私が普段接している音楽のジャンルの話に絞る。


心配大好きオタクたち

音楽オタクたち(今回はここに私も含める)は、自分の好きな音楽さえ聴けていればいいと考えていない人が多いように思う。もちろん好きな音楽、好きなジャンルを徹底的に掘り下げていくのがオタクなんだけど、こと音楽オタクに関しては、音楽シーン全体の事を気にしている人が多い。例えば海外アーティストの来日の話やフェスでのブッキングに関する話題は、常にもちきりになる。自分が行くわけでもなかったり、好きなアーティストであろうがなかろうが「いやこのブッキングはない」「洋楽不況が伺えるメンツだ」「今の世界的なシーンの傾向を追えていない」など、不満を漏らすこともあれば、「この面子はよくやった」「このアーティストをよく呼んだ」といった称賛の声が上がることもある。

とにかく、シーンの事を気にする。それは巡り巡って自分の好きなアーティストの来日に影響することにもつながったり、フェスの存続自体につながったりするので当然と言えばそうなのだが、そういった議論を見る度に「みんな音楽好きだなあ」ってつくづく思う。

どう考えても普通のライトな音楽ファンは「私の好きなアーティストが出る!」という理由で喜び、フェスに行くことを決めるわけで、行きもしないフェスを憂いたり、観もしないアーティストの話などしないと思うのだ。
自分の興味範囲ではなく、全体の事を考え、憂いたり喜んだりしている。それがオタクの鑑というのかもしれない。

いまこのような状況が続き、ありとあらゆるライブが中止になっている中、行く予定だったライブのみならずそうでないライブにすら想いを馳せ、ライブハウスを心配し、一生懸命政府への補償要求の署名活動に参加している人たちの思いは、やっぱり素敵だし、これからも音楽を愛し合う仲間として繋がっていたいなと信頼に値する。

これからもオタクたちにはその真っすぐな正義感とシーンに対する並々ならぬ愛を注ぎ続けてほしい。
こんな状況だからこそ、そしてこんなにも”自分の興味外のことはどうなろうと知ったこっちゃない”という無関心的な姿勢が蔓延っているからこそ、オタクたちの熱量が大切になるんだと思う。自分もできる限りのことはしたいなあと思うばかりだ。