バンドマン、そとくにそのフロントパーソンは時に熱く心震わせるメッセージをオーディエンスに届けてくれる。その時だけは「音楽は自由だ」「みんな平和になれる」「人を傷つけるのはやめよう」と言った気持ちになる。その気持ちに嘘偽りはない。その瞬間、会場にいる全員が心を一つにさせる。だから感動的なライブが生まれる。ライブはたんなる発表会ではない。子供のピアノの発表会と大きく異なるのは、演奏者である彼ら個人のアイデンティティや意思や感情を発露することが許されている場という点だ。

しかし、ステージ上の発言が彼ら自身の価値観であり信条であるということはイコールではないと思っている。なぜなら人は”いいカッコしい”だからだ。数千人、数万人が自分を見ている状況で自分の差別心を露発する人間はよっぽど狂ってるか人格が崩壊してるかわざと炎上を狙っている非常に悪質な人間であり、普通そんなことしない。当然「音楽は人を差別しない」「男とか女とか関係ない」「人を傷つけてはいけない」「誰であろうとみんな愛してる」と訴える。しかしそれは本当に彼らのプライベートでも実行されているかを証明するものにはならない。

断っておくが、バンドマン、とくに一フロントパーソンの発言で音楽そのものの評価に影響するわけではない。ただ私たちは音楽だけを聞いてるのではなく、バンドそのもののパーソナリティも含めて好きになるし、その逆も然りだ。私はあるアーティストがインタビューで自身がいじめていたことを反省の素振りなく楽しそうに話しているのを知ってそれ以来その人の音楽を激しく嫌悪してしまっている(この記事を書いていたのは6月ごろだが、まさか7月にこの問題が表面化するとは思ってもいなかった)。反対にドラッグで逮捕されたアーティストでも気にすることなく聴き続けている一方で強姦したり脅迫したりしてたアーティストはジャケットを見るのも嫌になる。この反応は人それぞれで構わない。音楽とは全く別だとしてなにがあろうと聴き続ける人が責められる理由もない。

たとえばBTSはアルバムタイトルを「LOVE YOURSELF」とつけるほどに自己肯定やメンタルヘルスに対する理解と積極性がある。しかしそれは単に歌詞とかMCでのありがちな誰でも言える宣言ではなく、その他の活動や言動から、彼らがいかに学びを日々得て、深い理解を得ているかがわかる。MCで「みんな愛している」と誰でも言える発言だけでなく、BTSとしての活動内外で行動し、その姿勢で自らのアティチュードをより強めている。

MCでどれだけ「みんな平等だ」「愛してる」と言ったとてそれは私にとって信頼に足りうるものではない(そもそもそのアーティストを必ず信頼せねばならないわけではないが)。裏では結局男根的なノリが横行しているかもしれないし、女性を性的な搾取をするか、活躍の場を不当に奪ってしまっている人もいるかもしれない。

私は、個人的な話だが、そういったステージパフォーマンスと日頃の発言から、信頼できるなあと感じる人はますます好きになってしまうのだが、みなさんはどうでしょうか。