最近テレビCMを観ていると、ことゲーム関連のCMになるが、男性が負けて女性が勝利するという構図が多い気がする。男性は果敢で無鉄砲に攻めて女子高生がそれをクスリと笑ってかわす。男は単純だが女はしたたかだ、といった内容は誰かにとって都合がいい。
昔がどうだったかは記憶にないが、ここ数年そんな構図ばかりだ。例えば青春をテーマにしている大塚食品のビタミン炭酸MATCHの「告白」編では高校生役を演じた天龍源一郎が女子高生にフラれている。

他にもファンタのCMでは菅田将暉が「イケメンの無駄遣い」と言われる。

また、auはとても顕著に女性を強く描いている。神木隆之介と松本穂香が出演している「意識高杉くん」シリーズもその一つと言えるだろう。

三太郎シリーズではキャラ的に負けキャラを作りにくい松田翔太を除いてバカそうな桐谷健太と意気地なさそうな濱田岳を起用し、女性側を菜々緒にするくらいに徹底している。だれに観て誰に笑ってほしいのかすごく具体的なCMだ。

上野樹里は旦那より強い。

もちろんこれらを強引にまとめて女尊男卑だとかいうつもりはないし、その指摘は間違っているだろう。俳優には個性がありその個性を生かした配役がある。上野樹里のダイワハウスに関して言えば、逆だったらコメディにならない。男なのにビビりだからちょっと面白さが出る。
そこに女性と男性の差はない。あるいは、女性に観てほしいCMだと、やっぱり女性にすんなりと見てもらえるような、女性が肯定感を増してくれそうな内容にすることもあるだろう。男性向けのCMには無駄に色っぽい女性が出てくるのと同じと言えるかもしれない。

ただ最近あまりに多いのでなんとなく気になってしまう。きっとおもしろさよりもなにかに憑りつかれているんじゃないかって勘ぐってしまうからだ。男が負けるからコメディになる。女が強いから面白さが生まれる、という具体的なものと、なにか漠然とした世の中の空気感を勝手にCM制作側がくみ取っているような気もする。それに答えを出すのは早計かもしれない。ただ思う、くらいがまだ適正だろう。

西野カナの楽曲に「Bedtime Story」がある。

この曲が冒頭

むかしむかし、あるところに
不器用な男の子と
少し気の強い女の子がいました

で始まる。ここにたくましい男性像はない。西野カナがそう切り出すことはとても恣意的だ。そして示唆的でもある。彼女は世間の女性が男性をどう見ているのかよくわかっている。その彼女が気の強い女の子を登場させる。そしてサビで

男の子は手を取ってこう言いました愛してる 誰よりも
君が思うよりもいつだって
君のことで心はいっぱいなんだよ頼りないかもしれない
でも必ず守るから

とストレートに宣言する。この曲が「3D彼女」の主題歌であるからこのような二人を描いただけだ、という指摘はごもっともだが、あえてそこはスルーしてみる。
「結局女子は素直に言ってもらいたいんだよね!強気だけど本当は心細いんだから」というパラドックスを見事に成立させた後でよくそんな清々しく演じられるのかよくわからないが、とりあえず今のところ世の女性はこの手法が大好きである。だからこそBack Numberの「花束」にキュンとする。「恋愛ってそういうもんだから」は度々都合の良いタイミングで使用されるが、それは受け止める側の器量次第であって要求する側の押し付けではないだろう、とも思うがその話はまた今度にする。

結局何が言いたいかって、特に何もないんだけど、社会的な女性の立場の弱さはまだまだ解消されていない中、メディアで消費される女性像はすっかりたくましくなってしまった。負けが許されない象徴にもなってしまった。でも「最後はキュン死にしたいんだから」の姿勢は崩さない。大変結構なことだが、それもまたメディが勝手に想像して作った女性像である。そうであるに違いない、と決めつけられた途端に自由は一つ死ぬ。現実とメディアの落差に苦しめられる必要はないはずだ。