忘れらんねえよ、というバンドがいる。
出てきた初めの頃は何人かいた記憶があるのだがいつのまにか柴田隆浩ひとりになっている。

私はこのバンドが怖い。何を目的としているのか、何が本気なのかわからなくて怖い。
なので今から書くことはあえて下調べせずに自分が今まで彼らを見聞きして得た情報だけで書く。なので偏見もあるし、事実誤認もあるかもしれないが、これが知らない人(でも音楽好きで情報だけは小耳にはさんでる)からみた忘れらんねえよ像の一つだと思って読んでもらいたい。

私が彼らを初めて認知したのはデビューシングル「CからはじまるABC」がリリースされたときだった。泥臭くて青臭い学生時代の青春を歌う、さえない男子を応援したりしなかったりするバンドなのかな、という認識だった。特にハマることもおもしろいとも思わなかったけど、すぐにヴィレッジヴァンガードでMVが小モニターで流されて販促されてた時はおもわず唸ってしまった。

その後もたびたび音楽ニュースサイトから情報が流れてくる忘れらんねえよ。ついつい頭に「”忘れらんねえよ”が忘れらんねえよ!」っていう言葉が思い浮かび、そのつまらなさに背筋を凍らせていた。今回の記事のタイトルも一瞬それにしようかと思って、正気に返って身震いした。

私の中での忘れらんねえよはコミックバンドだ。熱いこと言うけど、笑いは忘れない。そして童貞キャラだ。だから世間の童貞たちに優しかった、みたいなポジショニングだった気がする。

いつだったか、そのフロントマン柴田がMVで「童貞と偽っていました」と謝罪していたのを覚えている。実は彼は童貞じゃなかった。私は全く混乱した。
童貞キャラ自体が「実は嘘」ってみんなわかっていたうえでの発表なのか、はたまたこの謝罪はガチなのか、あるいは童貞じゃないってのもネタなのか、一体何が本気で何が冗談なのかさっぱりわからなくて怖い。そしてそれをひっくり返して何がしたいのかわからなくてなおの事怖い。

ライブ中にセックスと何度も叫び、気付けばドミノ倒し企画みたいなのを配信したりしてて、バンドの活動以外が目立つ印象の忘れらんねえよ。特にステージが大きくなったイメージもなけりゃテレビに出る感じでもない。多分それは本人たちも意識はしてないだろうしファンもそれほど望んでいないのかもしれない。

ジャケットはいつも突拍子もなく、笑えるかと言われれば特にそうでもない。タイトルは奇抜でおもしろいが聴きたくなると言えばそうでもない。実際にきいてみれば案外普通のギターロックをしていたり。ただあの熱を帯びた歌唱がグッとつかまされるものがある。あの歌声を聴いてレコード会社がほっとくわけないよな、とは思う。

自分がモテる側かと問われればそうじゃないし、”どっちかというと”みたいな枕詞なしに、真っ先に忘れらんねえよ側に入れられてしまうに違いない。私はまったく忘れらんねえよと同じ穴の狢だ。

だから歌詞が自分とすごくリンクするはずなのだが、不思議なことにリンクしない。

個人的には、どうしても自分に歌われているような気がしないのだ。確かに報われない男の歌だ。モテない男の歌だ。
だけれど自分は、なんだかそんな鬱屈した思いをギターかき鳴らし魂の叫びで歌われるほど何かに執着していないんだろう。
好きなあの子が別の男とスノボいってることに「ああああ」って思いに駆られてつぼ八で飲んだりしないのだ。
「そんなもんだよね」とあきらめてさっさと家に帰って一人で音楽を聴くだけだ。しかもその音楽は情熱的なものでも励ましてくれるものでもないただの新譜探し。
忘れらんねえよはドラマチックすぎる。自分の想いを吐露しすぎる。そんなに思ってないですよ大丈夫ですよ、ってこっちが遠慮してしまう。「あ、はい、モテてないですけど自分の感情自分で処理できます」って思ってしまう。多分だから彼らにのめり込まないのだろう。

もちろん、その鬱屈した思いが溜まって吐き出せないからこそ代弁者柴田の心の叫びが胸を熱くさせるのは理解する。ただ大前提としてその違いがあると「えっと何目的でしょう」とドミノ倒しという企画自体にしか目が行かなくなる。そこにあるドラマにまで注目できなくなる。だから魅力が伝わらないし、怖いと思ってしまう。

モテない男は鬱憤が溜まるとステージ上でセックスとか言いたくなるものなのか、となぜか新しい知見かのようにふるまってしまうのはきっと彼を恐れているから。もしかすると何かのトリガーで彼のワールドに引き込まれてしまう危機を薄々感じているのかもしれない。だとすると相当危険だ。

これからも彼を見る度に「ムムム」と彼の目の奥に潜む野心や目的を探りつつ適切な距離を取りながら見守り続けるのだろう。
ちなみに、もちろん新曲、「あの娘に俺が分かってたまるか」も視聴済みである。そのあたりは欠かさないのが流儀だから。