洋次郎の無邪気さ

野田洋次郎があるツイートをして炎上した。
まず見てもらえれば早い。


トレンドで「野田洋次郎」が浮上し、サジェストには「優生思想」とか「炎上」といった言葉が並ぶ。

何が問題なのかは多くの方が指摘する通りでおおよその認識のずれはないだろう。

かつてナチスがユダヤ人を根絶やしにしようとし、自分たちの民族を繁栄させようと様々な実験や政策を行ったことは広く知られた事実である。優れた人間は優れた人間と結ばせ、より素晴らしい人間をつくるという思想は確かにこのナチスの思想の直線上にあり、褒められたものではない。
私もこのツイートは炎上するより前に見ていたが、おもわずそっとしておくことを決めた。私自身、彼のファンでありむやみにリツイートして拡散するのは心が痛んだからだ。「これ見つかったらめんどくさいことになりそうだけど大丈夫かな」と思っていたが、やはりこのような(あるいは想像以上の)大炎上となった。

あえて擁護してみると、彼には「悪意」がない。だから後のツイートで「冗談ですよ」と自分でフォローしている。彼の思い描いたものは、そんなリアリティのあるものではなく、もっと純粋無垢でSF的なノリで言っていたのだろう。凄い遺伝子と凄い遺伝子を組み合わせればとんでもない才能が誕生するのではという子供の合体変身レベルのわくわくを文字にしたはずだ。そしたらもっと優秀な人材をつくれるはずだ。本当にそれ以上の意味がなかった。だから誰かを排除していいとか、本人の意思は無視していい、といった裏の意味を捉えることもしなかった。もっともっと世界で活躍する日本人が増えてほしいという一面的な目線で語っている。

だからこそ叩かれたわけだし、それを認めることによって、散々彼が説いてきた「愛」や「恋」が、彼の言う「凄い遺伝子」を持った人たちから奪うことを逆説的に認めていることに気付けなかったオチが待っていた。ましてや「愛にできることはまだあるかい」なんて言ってのけるほど極論的に「愛」について滔々と語る人だから余計に皮肉がTwitterを占拠した。


私は、「HINOMARU」事件(歌詞の内容が右翼的で炎上した)もそうだし、もっと言えば「マニフェスト」とか「狭心症」とか「五月の蠅」でネットでバカにされたり少し炎上するのをずっとファンとして見てきた人間である。
作品の内容にマジレスするのは嫌いだし、どんなに危険でもやばくてもそれはそれで構わないので、上の楽曲批判は全てくだらないと思っている人間だが、そうじゃない”ツイート”によって作品の外で不用意な発言をしたことは庇いきれない。


そして、このツイートも含め、野田洋次郎はいつだって「悪意」がなかった。裏の意味を認めたうえで発言をしたわけではなかったのはそれを如実に表している。単純にすごい人が見たいからツイートをする、単純に日本が大好きだから右翼っぽい歌になる、それ以上でも以下でもない。ファンとしてのフォローはそこに集中する。



明石家さんまと宮迫博之の悪質さ

別の話をする。

ご存知宮迫博之は2019年の闇営業問題で、表舞台から姿を消さざるを得なくなった。収入面が絶たれた彼は、YOUTUBERという活路を見出した。同じロンドンブーツの田村亮はテレビに復帰できたのに、彼はもどれない。それは決して今までの行いでも、人気の差でもなく、問題発覚後の対応と謝罪会見(兼告発会見)の姿勢に他ならない。世間の評価というものはあまり好きではないが、時にその鋭さに感服する。やはり世間もミクロにみると、毎日働き生活をする一人の人間である。人間の本質を見抜く力は各々備わっているみたいで、宮迫の本質をズバッと見抜いてしまった。


結果、彼は炎上系YOUTUBERをコラボするなど、「話題性と知名度」があれば何でも食いつく”ダボハゼ”の力を借りるしかなかった。モラルも常識もない。セクハラやらせをしても反省しているようでちっとも世間の実態を観ようともしない人間や、相手に落ち度や悪い点がある場合は知名度と資金力で徹底的に叩き潰し正義面する人間と手を組むことが、おそらく宮迫の本質だ。どいつもこいつも「悪意」がない。YOUTUBER側は悪意が多少あっても、それにすがる宮迫に「悪意」はない。ああ、以前から抱いていた宮迫への感情の正体はここなのか、と今年最大の知見を得た。明石家さんまは彼を「大逆転勝利」と形容しているが、明石家さんまもそういうところだよなと。閲覧数とか話題性とかそういう表層的な部分を観ないのはさんまが毛嫌いしているYOUTUBERと同レベルであり、同じ穴の狢というべきか、とりあえず残念な老人だなと思う。
明石家さんまの最近の記事は、時代錯誤な発言を取り上げたものが多く、そこも必然性を感じる。

明石家さんま“子育てママ”に超失礼発言「時代遅れ感がすごい」「すんごく下品」
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明石家さんまもまた悪意がない。でも自分が正しいと信じてやまない。その感覚の差があらわになると、途端に炎上へと変わる。

宮迫に話を戻す。

かれは先日、ロコンドの企業PR動画を上げた。内容はロコンド本社に潜入し、色々な秘密を探っていくというもの。そこで宮迫はかつて自分のキャラとして活躍していた”轟さん”を起用した。タンクトップに太眉、分厚いくちびるで、ゲイのキャラに扮した轟さんは男性に興奮し、女性を邪険に扱う。
大きな話題にはならなかったが、そこに宮迫の軽薄な笑いと時代の錯誤感を見出すことができる。おもしろければ(自分がおもしろいと感じられるものであれば)なんでもいい、みたいな姿勢は某炎上系YOUTUBERと基本的には同じである。

テレビでできないおもしろいことは、テレビですら忌避するような低モラルの巣窟だったというのはあまりにひどいオチである。



悪意が無いことは指摘しづらい

野田と宮迫とさんまの三組には悪質性の質が異なり、並べて語ることはあまり適切ではないが、そこに付随する”無邪気さ”はそれなりにやっかいである。悪気が無ければ許されるのか、冗談だと言えば許されるのか、といった問題はまだまだ論ずる余地があるだろう。

そして自分がその無邪気さを使いこなしてなにかを封じ込めたり悪態をついていたりしないかも意識的にならないといけない。
他人事ではなく、だ。
みなさんも、これらについて、どう考えるのか。否定ではなく、それぞれが意見を持っておくべき、そして自分へのまなざしをもっておくべきことだと私は思う。