先日、ミュージックステーションにゆずが出演していた。彼らは楽屋から歌い始め、スタジオまで歌いながら歩いていくという演出だった。その間に多くのエキストラを巻き込み、ステージに戻ったころには大量のダンサーとオーディエンスを引き連れて皆で歌い踊り狂っていた。

ゆずをテレビで見るとき、とくにミュージックステーションのような大掛かりなライブの際、ゆずは大抵大所帯でやってくる。そしてみんなキラキラしていて満面の笑みで歌い踊るのだ。

いつもゆずをみて思うのは、この「善の押し売り」感である。まるで楽しめないこちらが心の貧しい悪者であるかのような宗教性すら感じてしまう。ファンの方には申し訳ないのだが、この宗教性はファンにはわからないだろう。だってファンだから。

日本にはフラッシュモブは似合わない、というのがおおよその見解ではあるが、ゆずに関してはそのフラッシュモブを堂々とやり続けている猛者だと言える。ただ、ミュージカルは日本人も大好きなのだが、ミュージカルとフラッシュモブは作為的なものか自然発生的なものかの前提の違いがある。ミュージカルは作品であり劇場や舞台でみる「お芝居」に相当するが、フラッシュモブはあくまで「たまたまこうなった」という人の手の加えられていない超自然的なものとして捉えなければならない。ゆず自体は作品であるが、ゆずが作り出す世界観は「お芝居」には捉えることができない。だから気持ち悪さが付きまとう。そういう演出だ、とは口では言うものの、「音楽って人を励ますよね」「音楽は世界を平和にするよね」「音楽は人を笑顔にするよね」という底抜けの理想主義を掲げているために、演出が自然的なものになってしまっている。これは音楽の力です。たしかに今回は演出だけど、みんなも本当はこうなっちゃうでしょ?みたいな謎の押し付けがテレビ越しにひしひしと伝わってくる。

この気持ち悪さをどうにかしようと考えた結果、ゆずをアーティストととらえることを止めるのが一番だと気づいた。
みなさん子供の頃に「おかあさんといっしょ」というNHKの番組を観たことがあるだろうか。うたのおにいさんとおねえさんがいて、子供のためにおうたを歌ったり踊ったりする、あれだ。あの番組をみて、うたのおにいさんとおねえさんを「歌手」または「アーティスト」と思った人はどれくらいいるだろう。おそらく少ないのでは?
オリジナルソングもカバーソングも抜群の声量と安定したピッチで歌い続ける彼らをなぜ歌手と捉えないのか。それは彼らには「保育」「教育」という面の方が強くでているからである。歌手である前に、子供たちを楽しませることが第一の使命としている彼らは保育士なのである。とすると、彼らのあざとさは気にならなくなる。わざとらしい笑顔も目に付くオーバーリアクションも妥当なものに見える。

要するにゆずは「うたのおにいさん」だと思うことがベストなんじゃないかとたどり着いた。老若男女問わず愛される感動的なデュオ、ではなく、子供たちを笑顔にするうたのおにいさん二人組。
どうだろう、ゆずの面倒くささが少しは薄れた気もする。