昨日の洗濯物もまだ湿っていて

ヤングスキニーの楽曲に「愛の乾燥機」という曲がある。

安定した生活一つ二つ数えてる 「おかえり」手料理積まれた洗濯物

ゆらゆらゆらゆらゆらゆら揺れている 私の気持ちも昨日の洗濯物もまだ湿っていて乾燥機に入れて

この曲をどう解釈するのかは聞き手次第ではあるが、ここの歌詞を今日はとっかかりに書いてみたい。

ヤングスキニーがどういうつもりで書いたかの真意は彼らに聞くしかないのだが、この歌詞のように、「お前がいなきゃだめなんだ」というマインドで男性が女性への必要性を説くパターンは腐るほど見てきた。

一般論として、洗濯物が片付かないのも洗い物がたまるのも、自己管理能力の欠如の問題なのに「君がいないから」という問題にすり替えて、女性を立てようとする姿勢には嫌気がさす。

湘南乃風の代表曲に「純恋歌」があるが、あの歌詞は当然ながら当時もひどいと話題になった上に、2023年の今の時代に歌われるともはや耳を覆いたくなるくらいに聞けたものではない古びた価値観のオンパレードだ。

折り合いがつかない時は自分勝手に怒鳴りまくって/パチンコ屋逃げ込み時間つぶして気持ち落ち着かせて

守りたい女って思った

ラブソング/もう一人じゃ生きてけねえよ

<純恋歌>

さんざん自分勝手に惚れてはキレて、守りたいと言っては一人では生きていけねえとのたまう。確かに純恋歌は「自分勝手に」などと自虐し、自分が悪いことは認めている節はあるが、そうやって「俺はどうしようもないんだ」という精神で看過してもらうつもりなら、急に「守りたい女」なんて言うのはどうかと思う。

なぜ「純恋歌」なんかをまじめに突っ込んだかというと「俺はダメな人間なんだ」と卑下することで女性に立場を譲り、そこで優越感に浸る人間性が見え隠れし、それがどうにも気持ち悪いからだ。

家事分担の多様性

オードリーの若林と星野源のNetflixトーク番組、「LIGHTHOUSE」で、こんな一幕があった。

若林が、自身が司会進行を務める番組にゲストで既婚者の男性タレントが登場した時、カンペで必ず「家事分担はどうされていますか」という内容を訊けと言われるという内容の話だった。

若林は「なぜそんなに家事を分担しているのかというカンペを出すのだろう」と納得がいっていない。その質問への回答は、分担していてみんなに感心されるor旦那がやらなくてみんなにボコボコにされるの二択しか用意されていない。それって多様性なのか?と疑問を呈する若林。そして彼は当てつけのように自分がこの質問をされるときあえて「何にもしてないんですよ」と答えるそうだ。「俺がこれを言い続けないと、これが本当の多様性だからなってことを視聴者にわからせていかないと。」と鼻息荒く語る。その流れでさらに若林は「”鬼嫁”ってテレビでいう人絶対嘘。奥さんがそれに対して受容してるってことだからそんなの尻に敷かれてるわけがない。」と突っ込む。星野源も激しく同意する。

「そこに男性社会の名残がありますね。」と星野源は言う。「それを言ってる夫側の優越感。尻に敷かれてますけどねぇ。俺はちゃんとそこそこ意識できてますよみたいな感じが嫌い」とも言っていた。

この一連の会話は非常に興味深い。まず星野源の「鬼嫁」という言葉で一歩下がって優越感に浸る様はやはり非常に私も居心地が悪く感じる。「やっぱり女房にはかないませんわ」にしろ「女は強いですな」にしろ、自分があえて譲ってやってコントロールさせてあげることで全部を掌握しているのってめちゃくちゃ陰湿でセコくてダサい。

ここで武田砂鉄の「父ではありませんが」を引用してみる。

力を持つ男の多くは、こういった、男ってのはしょうもない生き物だ、という方向の言い草をとても好む。武田鉄矢は、2021年3月、『ワイドナショー』出演時に、女性蔑視だと問題視されていたCMについて議論する中で、(中略)「私は西洋に比べて、欧米列強に比べて、この日本が特に女性に関して、男性優位社会って言われていますけど、そんな風に感じたことありません」とした後で「やっぱり日本で一番強いのは奥さんたちだと思いますよ」とまとめた。この感じでへらへらしていると、その後の振る舞いがおぼつかなくても許されてしまうし、やっぱ、すごいっすね、と褒めそやされたりもする。つまり、骨抜きにされちゃったと言える強さを手放そうとしないのだ。

父ではありませんが

もう一点、この話に派生して語ると、若林の「多様性」という言葉にもつっかかってみる。彼は「LIGHTHOUSE」内で、多様性という言葉を何度も口にする。彼自身、お笑い芸人でありながら、誰かを価値下げする笑いはやりたくないと言ったり、誰かを傷つけるお笑いはもう二度とやらない、と誓ったりと非常にお笑い芸人の中でも人権意識も(単純に思いやりの精神ともいえるが)高く、常に旧態依然的なお笑いにあぐらをかくつもりのない、新しい形を模索しているリベラルな人だとこのトーク番組を見て感じたが、彼の使う「多様性」だけにはなにかもやっとするものが多々あった。例えば上の会話で、家事分担をしない夫がいることも多様性だと言っていた。もちろん、家事分担をするのもしないのも夫婦間の問題であり、両者が納得しているのならどんな形でも外野にどうこう言われる筋合いはない。私個人の話になるが私は「できる方がやる」を採用しており、速く帰宅した方が料理を作り料理を作ってもらっている間に手の空いている方が洗濯物を取り込んだり、と特に役割は決めずに自発的な行動にまかせている。もちろん性格の問題もあり、私の方が圧倒的にずぼらなので、ついうっかりするとすぐ洗濯掃除をやらせてしまっていることもあるので、日々気を付けてその分自分が料理でリカバリーするといったことは心掛けている。

要するに、本来であれば若林の言う通り、分担して褒められるorしていなくてぼこぼこにされる、の二択は多様性のあるべき姿ではないと思う。分担していようがどちらかに偏っていようが、褒めもけなされもせず、へえそうなんだあ、で認め合うことは究極的な形だと思う。

だから若林の言っていることに異論はないのだが、これを若林が言うことに多少のもやっとが個人的に生まれてしまったのかもしれない。もともと男性は家事をやらないことが一般的だった時代から、いろいろな事情があって家事分担をすることが当たり前になりつつある時代で、やってこなかった男性側が「やらない多様性もある!!」と主張するのは、パワーを持つ人間がその力を制限されたときに振りかざす暴力性のようなものを感じる。多様性ってパワーを持つ側が多少制限されたり負担が増えたことに対して「でもその制限をうけないと主張することも多様性だと認めろ!」という言い分と若林の発言が同一線上にあるように思える。多様性とは、と一言で言うのは非常に難しいが、少なくともパワーがない、権力を持たない弱い人、声を上げられない少数の人、そういう人たちの声をちゃんと聞くことが多様性なのかなと思うと、彼の発言は少し「それは若林が言う言葉なんだろうか」とも思ってしまうのだ。今、分担していることが「すごい」「素敵」などとほめることが一般的になっているのは、それだけ男性が女性に一方的に押し付けていた時代があったからだ。その背景を無視して、理想論だけを、しかも男性側が見せつけようとするのにはどうにも納得がいかない。

ゴミ人間、俺/自分勝手に怒鳴りまくって

話をヤングスキニーに戻すと、彼らも純恋歌も、決して自分を過大評価しようとは表向きにはしない。むしろ「自分勝手に怒鳴りまくって」いるのが純恋歌だし、ヤングスキニーの代表曲は「ゴミ人間、俺」だ。

── 〈僕は僕だ僕は僕だ僕は僕だ〉という歌詞が印象的ですが、〈僕は僕だ〉とかやゆーさんが信じられる、その原動力は何なのでしょうか?

まあでも僕もSNSでいろんなこと言われることもあるけど、エゴサとかすると、でもなんだかんだ言って、おれの書く曲おまえら書けないだろって思いながら曲を作ってるんですよね。そういう部分が、人を見下してるって思われたりもするんですけど、でも実際に僕はそう思っているので、曲にしたらいいかなって、こういう曲を作りました。だから、いい意味で自分を否定する人を見下せる強さが〈僕は僕だ〉って言える原動力なのかなと思います。

── それは自分に対して正直であるということですか?

そうですね。自分を偽った曲は僕にはないですし、ライブのMCでも本音で言うようにしていますし、歌にしちゃえばどんなに言いにくいこと隠したいことでも言えちゃうから、音楽においては常に正直な自分でありたいと思っています。そうじゃなきゃ「ヒモと愛」なんて、いくら歌にしても言えないだろうし。「ゴミ人間、俺」とかも〈騙されたあなたが悪いんだよ〉なんて、歌じゃなかったらヤバイですよね(笑)。

4ピースロックバンド・ヤングスキニー「剥き出しの言葉や感情もメロディに乗れば、そこに共感が生まれる。音楽ってすごいなって思います」

かやゆー:俺の事を嫌いな人は不特定多数絶対いると思うし、逆に俺も別のバンドを見てその人がどれだけゴミ人間でも歌が良ければ全然いいし、性格が悪いとかはちょっと嫌だけど、遊んでるとかだったら逆に説得力増すなって。あと極端な話、俺がこういう曲を書くことでお客さんがいなくなるならそれでいいし、でも好きになってくれる人はもっと好きになってくれるんじゃないかなって思っているんですよね。

2YOU:だからものすごく両極端なアルバムだなと思って。駄目な人には本当に駄目かもしれないけど、好きな人はどんどん沼にハマっていくアルバムだと思うんですよね。でもそれくらい爪痕を残すものじゃないと面白くないのも事実で。だって滅茶苦茶腹括ってるじゃないですか。さっきも言いましたけど「ゴミ人間、俺」なんて本当に最低ですから。

かやゆー:ちゃんと最低ですよね。

2YOU:ちゃんと最低です。ちゃんと最低なんですけど、それをエンターテイメントとして昇華しているのがヤングスキニーの良さだし、この曲で言えばしおんさんの軽快なビートがポップに打ち出しているギャップも面白くて。

2YOU

最低な自分をさらけ出せる自分はむしろ最高、というロジックで正当化させていく力技で、奇しくも多くの若者を魅了するバンドがこのヤングスキニーという稀有な集団だが、そこは大きく純恋歌のもつスタンスと異なっていると感じる。純恋歌のように自分を卑下しそれを女性に許されてしまおうともくろむ姿勢よりヤングスキニーには潔さがある。ただ、それを安易に「エンターテインメントとして昇華」しているかを決めつけるのには慎重でいたいが。

過去の作品を今の価値観に照らし合わせてキャンセルすることは好ましくないと考えているが、とはいえ過去の産物を今の時代にもゴリゴリに照らし合わせてくるものにはしっかりと首を振っていきたいと思っている。