ROCK IN JAPAN FESTIVALが茨城の会場から撤退したことがきっかけで、名乗りを上げたのがLuckyFM Green Festival。
フェス産業は大きな地域の収入源にもなる。そのためにもなんとか茨城に大きなイベントを残したい。そんな思いから発起された“はず”のフェスだった。
ただ、当時から賛同者にいささか不安があった。個人的にどうしても相いれない思想の人たちが何人かいたこと、そしてそれは文化とかエンタメとは水と油のような人たちだったからだ。悪く言えば拝金主義、よく言えば資本主義、ビジネスの嗅覚は強く、バズやメディアコントロールには長けても、ビジネスを二番手にしてもかなえたい願望は徹底的に排除するような人たちである。
その不安は的中した。それが以下の当該ツイートである。


総合プロデューサーの堀義人氏がFacebookでつぶやいた投稿をある人が拡散した。そしてそれを目にした自分も言いたいことがあふれてしまった。


ツイートしたように、VIP席(貴賓席)を設けることに異論を唱えることはない。そしてビジネスをおろそかにしているイベントはないということも付け加える。今巨大フェスとして毎年開催できているフェス(中小規模のフェスも同様だ))はどれも、いかにビジネスモデルとして確立させるか、お金を落としてもらい、利益を上げるかを重視していることは改めて言うまでもない。そんなこと働いている人なら誰だってわかっているはずだ。
ただ、どうしても納得がいかないのが、彼の言葉の節々からにじみ出る「うさん臭さ」だろう。VIPに呼んだ“質の高い友人”とはなにか。なんの質が高いのか。質が高いことはフェスと関係があるのか。ネットワーキングがあることを自慢し、学びの場であることを誇らしげにセッションの予定を立てる。それによって応募する“質の高い”人はどんなひとか。音楽より、フェスより、学びとネットワーキングを求めた起業家やビジネスマンではないだろうか。それが一体一般客に何の問題がるのか。音楽を求めてきた人は楽しみ、ネットワーキングを求めた人はより深いネットワーキングを手に入れる。

確かにその通りかもしれない。
ただ、それが主催者のスタンスだとすると、支持は難しいし、残念である。行こうと思った気持ちも萎えてしまう。たとえどれだけビジネスを優先しても、主催者のステートメントとして、音楽よりネットワーキングを優先する人を歓迎するなんてことは言ったことはフジロックもロッキンもサマソニもライジングもないし、それはコロナ禍を経てより強まった業界の意地みたいなものを一笑するような、侮蔑的な態度だと私は思う。
コロナ禍だからこそ浮き彫りになったライブ業界のビジネスの脆弱性は確かにそうだが、それでも赤字ぎりぎりでもなんとか利益をだしながら存続させていこうという気概は、間違いなく主催者の音楽への熱があるからだ。ようするに、どんなに困難でも音楽のためだからこのビジネスは簡単に手放さい。一方ビジネスを重視する人は、茨城に大きなイベントがなくなったこと、それをビジネスチャンスとしてとらえ、たしかにそこに大きな経済空間を作り出すことはできるが、逆に言えば「ビジネスチャンスじゃなかったらすぐに撤退する」といえる。音楽のためでも茨城のためでもなく、ネットワーキングのためだとしたら、茨城で音楽のイベントを続ける理由も特にないからだ。

さすがにそこまで極端な考えには至らないだろうが、音楽を二の次にする人たちを招聘する場としてフェスを利用するのは、ピュアと言われようが苦言を呈し続けたい。

このフェスがうまくいくことを心願うが、いいアーティストをせっかく呼んでも、そのアーティストのアティチュードにはこの人たちは興味ないんだろうな、と思うとやっぱり少し寂しい。