コンセプトこそ映画のだいご味、というのは一理正しくて、やはりまず設定でワクワクできる作品は強い。中身がどうであれとりあえず見てもらえるからだ。中身がどうであれ。
スペインの新鋭ガルダー・ガステル=ウルティアが、極限状態に置かれた者たちの行動を通して様々な社会問題をあぶり出した異色スリラー。ゴレンは目が覚めると「48階層」にいた。そこは遥か下まで伸びる塔のような建物で、上下の階層は部屋の中央にある穴でつながっており、上の階層から「プラットフォーム」と呼ばれる巨大な台座に乗せられて食事が運ばれてくる。食事は上にいる人々の残飯だが、ここにはそれしか食べ物はない。各階層には2人の人間がおり、ゴレンは同じ階層にいた老人トリマカシから、1カ月ごとに階層が入れ替わること、そして食事を摂れるのはプラットフォームが自分の階層にある間だけ、というルールを聞かされる。1カ月後、ゴレンが目を覚ますと、そこは以前より遥か下の「171階層」で、しかも彼はベッドに縛り付けられ身動きが取れなくなっていた。2019年・第44回トロント国際映画祭ミッドナイト・マッドネス部門で観客賞、第52回シッチェス・カタロニア国際映画祭で最優秀作品賞など4部門を受賞した。
映画.comより
地上から降りてくる最後の晩餐の画よりも豪華な晩餐は、地下一階の人間から順番に食べつくされていく。地下50階にはもうほとんど残されていない。そんな謎の施設に放り込まれた主人公がなんとかサヴァイブしていく物語。
結論からいくと、よくわからないまま、なにも教えてくれないまま話は終わってしまう。細かい理屈はよくわからないしそんなものはどうでもよくて、画のインパクト重視でストーリーが進行するので、理解が追い付かない。
社会の構図を端的に表したシステムなのだろうが、端的過ぎて、なんだかいろんなものが取りこぼされているような、そんな気分になる。そうはならんやろが続いていくと、そういうもんなんだという強引な説得に応じなければこの映画に見放されてしまう。欧米の映画の定番であるキリスト教の聖書をモチーフとした言動が続くと、キリスト教徒じゃない日本人には理解が難しいし、それを察する能力も知識もない。どうして社会の闇や構図を描こうとすると必ずキリスト教の教えをどの映画も持ち出そうとするのか。まるで世界はキリスト教の教えに従って作られているかのような…実際にキリスト教徒にとってはそうなのだろうが、傲慢さを感じる。人間の愚かさを描いているつもりなのだろうが、キリスト教中心史観の時点で「それもあんたたちの勝手な都合じゃねえか」と思ってしまう。
ラストは最近見た「CUBE」を彷彿とさせる謎オチで、賛否は分かれるところ。宗教観に基づいた作品なので、こまかいところはすべて暗示や預言者みたいなところに落としどころを持っていけるので便利だ。