歌詞はそうとうメルヘンでラブラブなのに、ライブでの彼女はゴリゴリだ。彼女とは、SHISHAMOのボーカル、宮崎朝子の事だ。軽いヤンキーみたいな口調で客をたしなめたりからかったりする。それがギャップでたまらない、とファンが思うのかどうかは知らないが、たしかにボーカルの宮崎はメンバーを呼び捨てで呼ぶ。吉川、松岡、と。
そして曲に対する解釈が違えば

「この曲は穏やかな感じでやりたい」と思っているときに吉川がガシガシ叩いていたら「そうじゃないんだよね」って話したり。

と厳しめに注意する。ちなみにドラムの吉川は宮崎のことを朝子と呼んでいる。宮崎とそのほかの二人との関係性が透けて見える。

──宮崎さん、吉川さんにとっては新メンバーが年下だったのもやりやすかったのでは?
宮崎 私は年齢はあんまり気にしないかな。でも吉川はどうだったんだろう?
吉川 私は人にあんまり物を言えないので、そういう意味では松岡でよかったなと思ってます。
宮崎 吉川は松岡と上下関係築けた?
吉川 いや、上下関係みたいなものが松岡と私の間にはないんですよ。私に対してすぐタメ口になっちゃったし。
松岡 親しみやすかったんで普通にしゃべっちゃいましたね。

途中加入であるベース担当の松岡は、年下でもあり、一番下の関係性にある。宮崎の作る楽曲のイメージをしっかり再現することこそが彼女の役目である、宮崎は吉川達よりも物事を俯瞰的に見て、とても冷静に判断しているようにうかがえる。フロントマンとして理想の姿だろう。
三人の関係性も、仲が良すぎることも悪いこともなく、いい意味でフェアに、ドライに付き合っていることも感じ取ることができる。

3人はそれぞれ異なる性格で、ラジオを聴いていると、付かず離れずの距離感だということが分かります。本人たちも「仲が良いと思われがちだけど、仲は良くありません!」とキッパリと言っていましたが、昨日まで仲が良いと言っていたのに、ささいなことで急に亀裂が入って口も聞かなくなる…というのは女性の間ではよくあること。それに比べるとハッキリしていて絶妙な距離感に思えます。
ーそうですね。「言葉遣いがよくない」とか「もっとフワフワしてるかと思った」って言われることもあるので、MCでガッカリされないようにしないとと思ってます(笑)。

決して媚びることのない楽曲はもちろん、見た目からは想像できないサバサバとしたMCも、彼女たちの魅力の一つだろう。宮崎の、歌っている時とはまた違う、少し低めのトーンで毒舌に突っ込むMCは、ファンからも支持がアツい。距離感の近いコール&レスポンスや、オーディエンスと会話しているかのようなMCは、大事な見所だ。「色んなところに行ったんですけど。まぁ今日がね、ファイナルってことで。一番盛り上がると思っていていいんですよね?」と、オーディエンスに問いかけると、ファンから気合い充分のレスポンス。「と、言いつつも次の曲はそんなに盛り上がる曲ではないんだけど(笑)」と呟き「がたんごとん」「転校の歌」と、自然と聴きいってしまう楽曲を演奏する。バラードのギターソロから溢れる響きにも、彼女達の確かな実力が滲み出ていた。

これは往々にしてあることなんだろうが、享受している側の人間を供給する側は意外とアイロニカルに見ている。それこそが職業作家に必要なスキルでもあるのだろう。SHISHAMOの音楽は極めてライトな層にも届いていると言える。現に、ミスチルしか聴かない音楽にほとんど興味のない友人もSHIHSAMOにドはまりしている。「君と夏フェス」のように、ライトな音楽ファン(フェス好きのライト層)の入門編として彼女たちの音楽が機能する。

また、さらにもっと一般の女性にむけた「魔法のように」なども象徴的な一曲だと思う。だが、じゃあ彼女たち自身がそこにアクセスするような人たちかと言えばそうでもない。むしろその部分からはある意味で遠い(かった)人たちなのかもしれない。

それが垣間見えるインタビューがある。

「ステージが上がっているというよりは……今年初めて夏フェスに出たんですけど、『SHISHAMOを観に来ている』っていう人がたくさんいたのがびっくりして。夏フェスって、アーティストというよりもイベント自体を大事にしている人もたくさんいると思うんですけど、そういう人達にも受け入れられてるんだっていうことは凄く実感しました。最初は他のステージでやられている人も気になったんですけど、やってみて、『そんなに引けをとってない』と思えて。高校生の頃は、暑いのは嫌だし人ごみも嫌いだったから、『夏フェスに行く人の気が知れない』っていうくらいだったんですけどね(笑)」
うーん……でもあの曲って、割と狙って作った感があったと思うんです。元々は『夏に勝っていくための曲』っていうより、ただ『夏の曲を作ろう』っていうだけだったんですけど。……私は友達が全然いないんで、『夏』と言っても誰かとどこかに行けるわけでもないから、今の自分に近い『夏』といえば夏フェスかなと思って、曲を作るための題材としてフェスを使った感じなんです……現に、この夏もフェス以外、どこも行けなくて(笑)」

宮崎:前向きです! SHISHAMOの応援ソングなので。
「前向きな応援ソングは柄じゃないけど」って歌ってますけどね。
吉川:確かに(笑)。
宮崎:応援ソングって、あんまり聴かないですからね。Theピーズを聴くと「がんばろう」って思ったりするんですけど。「がんばらなくていい」っていう歌のほうが、「がんばろう」って気になるというか。

彼女たち自身は「がんばれ」に頑張ろうと思えないらしい。しかし「明日も」を聴いていると、確かにこの曲が人気を博す意味が分かってくる。それは宮崎の信念が詰まっていると言えるからだ。どこにもがんばろうなんて言葉はなく、

良いことばかりじゃないからさ
痛くて泣きたいときもある

明日の自分のためだと思えばいい
今日をひたすらに走ればいい

と刹那主義を貫く。それは、先行きの見えない社会においてとても重要なキーワードで、今を楽しむ、今をのりきる、が詰まっているんだと思う。だからステータスになるものには手を伸ばさない。一歩先の未来がどうなってもおかしくない社会において、将来のための投資に価値を見いだせていない若者は”今日をひたすらに走る”だけだ。細木数子に「地獄に堕ちるわよ」と言われて焦りだした時代はとうに過ぎて、”今””この瞬間”をどう生きるか、どう解釈して乗り切るかが大切になった時代は当然ながら細木数子よりマツコ・デラックスに需要が傾く。いやなものはいやだとはっきり言える時代の先は”今日をひたすらに走り”つづける、自転車操業なのだ。一歩未来に目を向けた時点で「意識高い系」と括られ揶揄されるのだから。
「私サバサバしてるの」、という女は「サバサバしてる」と他者から思われたくてそう言っているのだから、全然サバサバしていない。だけれど宮崎は「私サバサバしてるの」とは言わない。言わなくても「吉川」「松岡」と呼び捨てにして、ライブのMCで愛想を振りまかず、YOUTUBEのコメント欄を書き込み禁止にしている時点で、他者からの評価を気にしていないことがわかるので、サバサバしてるんだなあと汲み取ることができる。SHISHAMOは確かに刹那主義である。しかしそれと同時に彼女たちにはきちんとビジョンがあり、計画性がある。一日全力で走って明日のことを考えない、のは聴いているファンだけでありSHISHAMOは着々とステップを駆け上がっていく。夏フェスの恋について歌っているけど夏フェスは好きじゃないし、応援ソングを歌ってるけど応援ソングは聴かない。なにより、みんなボーカル宮崎の恋心に共感するが、代名詞的な「僕に彼女ができたんだ」や「僕、実は」はドラムの吉川が作詞している。「そうだよね」「わかるわかる」と共感の嵐に乗じて船出をした若年層の女の子たちだけれど、全然島が見えてこない。あると思ってたSHISHAMO島は上陸するのにはあまりにハードルが高すぎることを彼女たちは知らない。おんなじ目線のバンドだと飛びついたものの結局SHISHAMOは救ってくれない。刹那主義を歌うSHISHAMOは刹那主義じゃないからだ。共感したものの後にも先にも引けない大海原で一人ぽつんと取り残される。さてどうしたものか。