評判がいいので百聞は一見に如かず。映画館で見てきた。

「グランド・ブダペスト・ホテル」「犬ヶ島」のウェス・アンダーソン監督が、フランスの架空の街にある米国新聞社の支局で働く個性豊かな編集者たちの活躍を描いた長編第10作。国際問題からアート、ファッション、グルメに至るまで深く切り込んだ記事で人気を集めるフレンチ・ディスパッチ誌。編集長アーサー・ハウイッツァー・Jr.のもとには、向こう見ずな自転車レポーターのサゼラック、批評家で編年史家のベレンセン、孤高のエッセイストのクレメンツら、ひと癖もふた癖もある才能豊かなジャーナリストたちがそろう。ところがある日、編集長が仕事中に急死し、遺言によって廃刊が決定してしまう。キャストにはオーウェン・ウィルソン、ビル・マーレイ、フランシス・マクドーマンドらウェス・アンダーソン作品の常連組に加え、ベニチオ・デル・トロ、ティモシー・シャラメ、ジェフリー・ライトらが初参加。

映画.comより

まさに「グランド・ブタペスト・ホテル」を作った監督の作品だなあと伝わるシュールほっこりヒューマンストーリー。ストーリー、とはいっても、映画の時系列自体はほとんど進んでいない。この映画、複数のジャーナリストにスポットライトを当て、彼らがどんなジャーナリストで誰と出会い何を見つめてきたのか、それぞれ描いている。だからほとんど回想シーンといえばそうなるし、だからこそ、最初誰も見分けすらつかないくらいに一気に人物が画面に登場するが、2時間後、彼らがどんな人間なのかを知ってからまた会議のシーンに戻った時、全員がとてもカラフルに見える。それぞれのパーソナリティが見えたからこそ、魅力的に見える。さっきまで見わけもつかなかったのに。その感覚がなんとも気持ちがよい。

そして、舞台が60年代であるため、この物語には当然、スマフォが登場しない。それゆえ、メッセージの遅延によって数々の悲喜劇が生まれる。むしろ、愛のためには、コミュニケーションにはすれ違いがあるくらいの方が望ましいとまで思わせる。そこにあるのは「繋がりすぎることがない」がゆえに「至高の時間」を過ごすことができた幸せな世界だ。その流れ行く「至高の時間」を書き留める役割が、『フレンチ・ディスパッチ』に寄稿する記者/ジャーナリスト/作家たちに課せられた使命だ。だから、映画が素晴らしい時代だっただけでなく、ルポルタージュもまた輝いていた時代であった。そのスマフォなき、コミュニケーションに豊かな陰影があった時代をウェスは描いた。ノスタルジーにあふれるわけである。ただトリュフォー好きだからモノクロ映像があるだけではなかった。その様式に相応しい物語を呼び込んだのだ。

文化の今日的意義を問う3つの〈愛〉のファンタスマゴリア:映画『フレンチ・ディスパッチ』池田純一レヴュー

この映画の愛は常にボーダーを乗り越えた秘匿な関係があった。ジャーナリストと青年革命家、殺人鬼と刑務官。時代設定を巧みに利用し、へんてこな会話の中に核心が見え隠れする。そのいじらしい作風はフランス映画へのリスペクトがウェスアンダーソンから感じられる。

正直安易に大衆映画として気楽にみられる作品かというとそうでもなくて、このタイプの映画は好みも分かれると思うが、「作品」というもの自体が大好きな人(映画とか物語、というよりも)にぜひ見てほしい作品だ。