AK男子とは

AK男子がいるらしい。ドラマの話だ。高橋一生らが演じるAK男子とは、あえて結婚しない男子。3人それぞれに理由があって「あえて」結婚しないと言う。共通することは3人ともお金に困らず裕福な家庭で育ち自分でなんでもこなしてしまうために、本心で結婚に対するメリットを感じられていない点だ。

本作は、没頭できる仕事と趣味、そして高い家事能力を持ち、友達とも充実した日々を過ごす、“あえて結婚しない男子=AK男子”にスポットを当て、アラフォーの独身男性の本音を体現していくラブコメディー。

そういえば昔、阿部寛主演で「結婚できない男」なんてドラマがあった。この主人公の桑野もそれなりに裕福で地位もあるが、性格に難があったため、女性とうまくいかない。偉そうで傲慢だが小心者で頼まれた事は断れない。阿部寛ぴったりの役柄だ(失礼か?)。

建築家・桑野信介は、仕事の評価は高く、ルックスも悪くない。しかし、皮肉屋で偏屈な性格から、女性や結婚に対して嫌悪感を示し、40歳になっても独身の「結婚できない男」であった。高級マンションに1人暮らし、1人きりで食事をして買い物をするという、気ままな独身生活を楽しんではいるが、どこか空しさも感じ始めていた。

決定的にこの桑野とAK男子の違うところは、本音か強がりか、である。もちろん、AK男子の方も実際ドラマを見てみないとそれがどこまで本心なのかはわからないが、あらすじを読む限りは「ふん!女なんて!結婚なんて!」みたいな見え透いた強がりではなさそうだ。高橋一生というキャスティングにもそれが表れている。まさか彼を起用してみみっちい男役をさせるまい。

その前のクールに、性格ブスの女を妖精が指南するドラマ「人生が楽しくなる幸せの法則」があった。相席スタートのボケである山﨑ケイが書いた本が原作となっている(本人も出演している)。そのドラマは放送開始前に「女性差別だ」「生き方を制限している」などとひどくバッシングを浴びた。まさに内容を一つも知ることもなくとりあえず「ブスを矯正」というワードだけで男への迎合的な姿勢を連想した頭のずいぶん悪い女性がキレた。かわいそうに。フィクション観るのに向いてないから二度とドラマ見なけりゃいいのに、という本心はひとまず置いといて、とりあえず炎上した。

男は「みみっちい」とか「ダサい」「キモい」「ハゲ」なんて言っても耐えなきゃならないしむしろ笑いに繋げないとバカにされる。女は「今日も綺麗だね」と言っただけでセクハラになるらしい(ワイドショー調べ)。全くもって意味がわからないし、女性の権利を叫ぶ人たちはその分自分達以外の人達の権利も守らなければならないことを見落としている。とはいえ、やっぱりブスがブスのままではいけない!みたいな風潮は見直されてもいいとは思う。生物学的には美人になることは子孫を残すための手段の一つであり何ら問題もないが、人間社会においてはその一筋ではない。

女性が女性らしくあること、女性が無理に男にウケる女性でなくてもいいということ。この二つが今同時に成立している。前者が大森靖子なら後者はあいみょんか。という仮説を立ててみる。ようやく音楽の話だ。お待たせしました。

“かわいい”が手放せない大森靖子

大森靖子は「絶対可愛い」であることを頑なに保持する。ブスと言われようと母親になろうとキャリアを積もうと、かわいいは手放さない。

絶対女の子がいいな
絶対彼女

可愛いまま子育てして何が悪い
子供産んだら女は母親って生き物になるとでも思ってんの?
全てを犠牲にする美徳なんて今すぐ終われ
かわいく生きたい

悲しいけれど80年代や90年代には女性の主張できなかったことだし、それがいま多くの女性(特にサブカル界からの)から支持を集めていることはとても現代的で素晴らしいことだとは思う。多少過剰な演出や表現もあり仮想敵を作っている気もあるが、それでも「女性は一生女性だから可愛くいて何が悪い」という至極真っ当な主張を先陣を切って歌うのが大森精子だ。
ちなみに大森靖子は道重さゆみのファンで先日コラボも実現した。道重のファンというのもなかなかいろんな指摘が出来そうだが、あまり踏み込んだ偏見を言ってしまうと袋叩きされそうなので、道重ファンは大森靖子とヤバTのありぼぼです!という事ぐらいにとどめておく。

ありのままの女性を貫くあいみょん

一方であいみょんは「絶対彼女!」なんて口走ったりしない。むしろパンツスタイルで声も低く

結局のところ君はさ どうしたいの
まじで僕に愛される気あんの

と男目線で語る。もちろん、特に初期のあいみょんがメンヘラチックな歌を歌っていることは存じ上げているし、2017年に「エンタメメンヘラ”の女王、あいみょん」という記事も書いている。

涙を流しながら 笑って見送って欲しい
無理やり私の大好きな俳優を連れてきてよ
でも私が殺されて死んだら
いつか 引きずってやる
地獄よりも深い場所で 血まみれの米を食えばいい

なんかにもあるように、恋人に執着するような描写もある。私はこれらの歌詞を

“歌詞はぶっ飛んでいるが、そこには確実にフィクションという前提がある。きっとあいみょん自身も楽しんでいるのだろう。だから私も安心して聴くことができる。この差は大きい。彼女自身が過剰表現によってフェイクであることを提示してくれるだけで、一気にエンタメとしての質が上がる。そこを彼女は分かっているから深刻にならないし、決して彼女が今にも死にそうな、命をすり減らしているアーティストだと認識しないのだ。”

と解釈している。それくらい彼女にはどこかフィクション性があるし、彼女から「死ぬまで女の子だから可愛くいて何が悪い!」みたいな主張が強く聞こえない。

だからといって、あいみょんが女性らしさを手放したわけでもかわいくありたいと願わないわけでもなく、ただありのままの姿をそのまま受け取ってもらおうという姿勢であるだけだ。それは決して可愛さとの二律背反ではない。あいみょんも大森靖子も、また違った形で女性であることを誇りに思っているだけだ。

ただこれからの時代に重宝されていくのはきっとあいみょんみたいな人なんだろうとは思う。過剰な自己主張も敵を作りながらそれを蹴散らしてくこともなく、ただありのままの自分を素直に表現する、それはとてもフォーク的な思想でもある、それが2020年代の女性アーティストの傾向なのかもしれない。もうさすがに男性だって「女は家事してろ」とか「母親が化粧するな」とか「ブスは顔を出すな」とかそんなひどいこと言う人も減っているだろうし、そんなことを言う人には容赦ないバッシングが男女ともから浴びせられるに違いない。もう女性が女性であることを声高に叫ばなくたってよくなってきているし、まだ途上でもこれからその傾向は強まっていくはずだ。

女性進出社会

「結婚できない男」の桑野のように、大森靖子もあいみょんもスタイルは違えど強がってはいない。常に本音でいたいと思い、その筋を通している。ある意味でAK男子も女性と同じように、素直な気持ちを大事にしている人なのかもしれない。それがどう描かれるかは知らないが、女性は「結婚が幸せとは限らない!」とようやく何度も言われるようになったのに対し、男性はまだ「結婚しないのはできないだけだ」と敗者の弁に聞こえてしまっていたようだ。それがAK男子で覆るのか、それともいまだに桑野の精神で「ケッ!結婚なんて糞だよ」と本当は憧れもあるけどどうすれば結婚できるのかもわからないから言っているだけの人たちなのかはドラマを見ないとわからない。
男女平等が達成されるにはもう少し時間がかかるかもしれないし、おそらく解消されないシーンも、逆に違った差別が生まれかねないシーンもあると思う。でもそうやって極端に振れながら、時に間違えながら少しずつ修正していく。一度でちょうどいいバランスなんて見つからないから、片方ずつ錘を秤にに載せて傾いた方に一個ずつ置いていく。大森靖子とあいみょんという一見両極に位置する二人も決して対立構造ではなく、一つの錘なのだ。いずれは女性のアーティストがフェスのメインステージで披露できるような、なんだったらトリになれるような、そんな音楽シーンであってほしいなとも思う。