aikoは98年にデビューして以来ずっとカブトムシで居続けた。という冒頭で始める今日の話はaikoと西野カナ。

二人はデビュー時期も違えば音楽のジャンルも異なる、接点の少ないアーティストだが、頑なにその姿勢を崩さずコンスタントに制作を続けるプロであるところは同じだと言える。もっと細かく言えば、二人は全然衣装が変わらない。aikoはいつまでたってもTシャツにロングスカートをはいて「男子!」「女子!」と叫ぶ。西野カナは一貫して恋愛女子に好かれるためにディズニーの国から登場したようなメルヘンチックな服か、カジュアル10代女子かのようなヴィヴィッドカラーシャツを着てチアリーダーさながらの応援をしている。
決してこの二人をけなしたい訳ではない。むしろ両者ともに大好きで、先日はaikoのライブにも念願叶って行くことができたし、西野に関しても音楽は好きだし出演した番組の歌収録は録画してDVDに焼いている。あとシンプルに顔が好き。しゃべり方も。なんだあの独特な間の持ち主は。かわいい。
だけれど西野に関しては、全然普段着なさそうな系統の服をいつまでもずっと着続けていることにすごい執念を感じてしょうがない。30にもなろうかという女性がいつまでもトリセツを歌い、「昔々あるところに」からはじまるおとぎ話形式の恋愛物語を歌うのはテレビならではの妙な世界観だ。いや、現実でもたまにいるか。いずれにせよ彼女はいつだってぶれない。そこが好きだけどまったく本心が見えないところは少しもどかしい。



aikoはむしろ隠さない。自分の本当の思いだけを吐露している、はずだ。

aiko:私は感情の起伏が激しいし、重箱の隅をつつくようなところがあるから、何かと苦しいことも多いけど、今もそれを含めて楽しもうと思える
インタビュアー:「付き合ったら、歌と違うんやな」って言われたんですよね?
aiko:そうっ!なんかね、伝わらないんですよ。リアルに恋愛中も「妄想で自己完結している」って言ってたから。そういえば、「君は一生恋愛するだろうね」って、何度か続けて言われたことがあって。

このインタビューからも伝わるのが彼女の恋愛体質。そのためか時折彼女の、その小悪魔的な要素だけが作為的に抜き取られ悪いゴシップとして出回ったり「aikoはメンヘラそう」みたいな言説が飛び交ったりもする。

そんな世間の評判はなかなか鋭くて、私も西野よりaikoのほうが圧倒的に恋愛体質な気がするのだ。西野のインタビューを読むと、サバサバとした男らしさすら垣間見える。先日テレビ番組でも彼女が作詞方法を「まわりの人たちへのインタビューで詞を構成している」と暴露し、一部から懐疑的な声も上がったが、そりゃそうだろうという気持ちにしかならない。あの歌詞が西野の100%の本心ならaikoも顔負けのメンヘラだ。私にはそうには見えない。
彼女の戦略的な部分は作詞に限らず、伝えたい内容によって作曲者を変えているところだ。ちきんと狙ったところに届くように、作曲者を選びテーマを歌詞のストックから決めて、衣装も固定する。西野のファンは彼女とともに成長しない。ずっと同じ年齢の人たちを相手している。卒業と入学を繰り返しながら。それはaikoも同じだ。さすがにあそこまで自作自演ができる音楽のカリスマともなれば固定ファンは多いが、それでも20代の支持はいまだに熱い。それはライブを見ても感じた事だ。

アーティストにはそれなりにキャリアを重ねると誰しもが通るルートがある。売れる→ひねくれる→丸くなる。の循環だ。世間の目にさらされることに対して激しい反骨心を覚え、鬱っぽい曲調が増える。しかし一旦底を抜けると今度は飛び抜けて明るくなる。もしくは丸くなる。30過ぎて40に差し掛かると社会的な使命感も芽生えてくる。後進の育成ということも視野に入ってくる。それが定番になっている。なのにaikoは常に変わらない。デビューから今までずっと同じペースを保つ。活動休止もしない。テレビに出なくなったりもしない。打ち込みに走ったりしない。ギターとベースとドラムとシンセ、そして管楽器。路線変更もなく淡々とリリースをこなす彼女は常軌を逸している。テレビに出るたび妙なフェチを晒すのだが、それを見るたび「こだわりの強そうな人だなぁ」という感想が浮かぶ。同じことをひたすらサイクルすることをあまり苦に感じないタイプというか、相当な職人気質だなと感じる。似たようなところで言えばタモリだろう。

同じことを続けるというのは思ったより狂気の沙汰である。大体の人間はそれに耐えきれず転職するかキャリアアップを目指す。それはサラリーマンでもトラックの運転手でもコンビニの店員でも、もちろんアーティストも同じことだ。だけれどaikoもタモリも、ただただ同じことを繰り返す。それが「惰性だ!」とか「マンネリだ!」と指摘するのではなく、それを求められてこなし続けることの偉大さを知ることの方が大事だ。

西野カナが昔インタビューで来ていた服がスリプノット(アメリカの有名なメタルバンド)で話題になったこともたったが、「実はすごくオタクが喜びそうな音楽を好んで聴く」西野カナよりも、いつまでも服装を変えない西野カナの方が興奮する。どこまで彼女が自分の信念を曲げてでも売れる音楽を作ると決めているのかは想像し難いしこちらが一方的に決めつけることもできないが、その姿勢は尊敬に値する。
だからこそ先日西野カナが結婚を選び活動休止を発表したことが寂しさと共に安堵を覚えたりもしたのだ。

aikoはどこまで突っ走っていくのだろう。疲弊したりしないのだろうか。音楽的な野心をひけらかすことなくアルバムリリース→ツアーライブ、を繰り返す彼女に西野カナの心労がよみがえる。タモリにしろaikoにしろ、ひたすら同じ作業を繰り返すことにずば抜けた人がいるという事実はいつも私を感心させる。