様変わりした現状

2020年の音楽を予想した記事を書いたのが3月。あの時すでに海外ミュージシャンの来日公演が次々とキャンセルになり、暗澹たる気持ちで日々を過ごし、迫りくる絶望の未来に目をそらしていた。
現実は残酷で、起死回生の大逆転も執念の大勝利もなく人類は、あるいは日本人は、いともあっさりとコロナにやられてしまった。たかがウイルス一匹に右往左往し、人間同士で罵り合い祭り上げ、責任の転嫁を繰り返す。あんまりにもみっともないのは政治家だけでなく市民であり日本国民である。よくもそんなに醜態を晒せるものだと感心するほどだ。

すっかり音楽業界は様変わりし、音楽ビジネスは焼け野原となった。古くから続くライブハウスは潰れ、ミュージシャンは廃業していく。「自己責任」と言うクセにその言葉の責任は自分で取らない無責任で愚かな人間が音楽業界を指さして罵ってく。「お前らだけ助かろうなんて許さないぞ」というお叱りは全員を不幸へと道連れにする合言葉である。

それでも音楽家たちは歩みを止めない。なんとか生き抜いてやろうとあの手この手を尽くしている。当たり前だ。それが仕事なのだから。

フェスのせん滅

フェスはもうすでに息をしていない。春先に開催予定のコーチェラフェスティバルは10月に延期したのち、中止を発表した。コーチェラに限らず世界中のフェスが軒並み中止になる中、日本も同様に中止が相次いでいる。5月のビバラロックフェス、夏場のDEAD POP FESTiVALや京都大作戦、四大フェスのフジロック、ロックインジャパン、ライジングサン、サマーソニック全てが開催されないことが決定している。その中でも踏ん張っているのがスーパーソニック。9月開催予定で海外ミュージシャンも招聘予定だが、まだ開催中止のアナウンスメントは7月末段階で出ておらず、あくまでも開催の姿勢を崩さない。また、夏の魔物も会場を横浜アリーナに変更して行う予定で、その動向が注目を集めている。
と、誰でも知っている情報を並べてみたが、やはり壊滅的な状況なのは火を見るより明らかだ。それでもビバラロックは配信に切り替えて開催予定だし、フジロックやサマーソニック、ロックインジャパンは過去のライブ映像を配信予定だ。世界各地で行われているロラパルーザも配信を8月頭に行い、できることからやっていこうとしている。しかしそれはあくまで限定的で、例えばその収益でどうにかなる状況ではない。

ミュージシャンたちの反応

ミュージシャンもじっと家で待っているわけではない。ホームレスになる前に一刻でも早くお金を稼がなければならないからだ。既存のメディアを使った無料配信のスタイルや、有料ライブ配信ができるZAIKOなどを活用し、多くのミュージシャンが各自マネタイズを図っている。
星野源といったビッグアーティストからライブハウスバンドまで、各自が様々な形でライブ配信を行っているが、注目点の一つがアーカイブをのこすかどうかという点だ。つまりリアルタイムで見られなかった場合、後追いができるようにしておくのがアーカイブで、その瞬間しか見られないのがアーカイブなしのスタイルだ。もちろん有料配信なのでライブ感を楽しみにするためにアーカイブを残さないというのも一つの有効的な手段ではあるが、まだまだ発展途上で多くの課題を残しているライブ配信は、通信の不安定さやサーバの安定度の問題もあり、うまく見ることができない障害が多々発生している。結局星野源はアーカイブ期間を延長することになり、この措置は多くのミュージシャンによって取られているのも事実だ。

自宅からインスタライブで配信のムードは消え、どこまでクオリティを高め有料で配信するのか、苦悩する姿は散見される。特にフェス文化によってなりあがってきたバンドたちは窮地に立たされていると言っても過言ではない。観客ありきで作られてきたパフォーマンスは無観客の前で同じ効果を発揮するのか。根強いファンは当然肯定的ではあるだろうが、やっている本人がこころ折れることもあるかもしれない。自宅にいると、より自分と向き合う時間が増え、内省的な作品も増えるかもしれない。この間タイミングよく水曜日のダウンタウンで麒麟の川島が取り上げていた、無観客でのライブ配信を行ったときのもう中学生のネタはまさにそれを体現していた。観客と一体になることでその効力を最大限に発揮していた彼は、無観客の前ではあまりに無力だった。


ライブ配信の形を刷新する人たちも現れている。
今年初頭にゲーム「フォートナイト」にて奇想天外なバーチャルライブを行ったトラヴィススコットは、一度に1200万人のオーディエンスをあつめた。仮想空間でだ。仮想空間ならではのぶっとんだ演出に世界中のトラヴィスファンとフォートナイトファンは歓喜した。あまりにスリリングでセンセーショナルな企画なので、これがそのまま他のミュージシャンが再現できるわけではないが、去年日本でもフジロックがバーチャル空間のフジロックアプリを開発し、自分のアバターを好きに会場内を歩かせ、各ステージまで足を運ぶと、そのステージのライブ配信が見られる仕組みになっていた。
また、ラッパーのkZmはトラヴィスさながらのバーチャルライブ「VIRTUAL DISTORTION」を複数日にわたって展開し、大きな話題を呼んでいる。
そうした単なるライブ配信から一線を画すような、斬新な企画も生まれつつある。おそらくその波は続いていき、よりインタラクティブなモードが追加され、ミュージシャン同士、ミュージシャンとファン、ファン同士のつながりが深くなっていくに違いない。


2020年からの10年

先にも言ったが、コロナは全ての地図、道筋をぐにゃりと変容させてしまった。もうかつてのような、今までの道には決して戻ることはない。また新たに道を作り直す必要がある。
その時描かれる道は、しばらくはより内省的でオーガニックな作風が増えることもあるだろう。現にテイラースウィフトがゲリラリリースした最新アルバムはフォーキーな内容で、間違いなくこれからを示唆するような作品だった(テイラーは意図してか神がかってか、必ず数年後の音楽業界を映す鏡になっている)。
2020年代はR&Bの時代だと思っていたが、それは予期せぬ形で接近し、ある意味で遠ざかっていく。そしてサウンド面のみならず、ライブという生の空間を共有できない反面、より多くの、世界中のファンと同時につながることができることを活かした音楽活動が活発に行われるようになった。[Alexandros]の全編アコースティックアレンジを施した「Bedroom Joule」、Charli XCXのファンとのインタラクティブなコミュニケーションによって創り上げたアルバム、ジャスティンビーバーとアリアナグランデの「Stuck with U」がファンからの投稿映像を組み合わせて作ったこと、どれもがそれぞれのコロナ禍への”回答”である。

なにより急きょビジネススタイルの変更を余儀なくされた彼らの苦肉の策はみているこちらも冷や冷やする。
9月が解散ライブとしていたsora tob sakanaは、その値段設定に多きな衝撃をもたらした。アイドルを軽視するわけではないが、同じような規模の同じようなアーティストの相場からは10倍近くかけ離れた強気の値段設定は、「コロナの影響」も当然関わっている。

客数を減らし、値段は高騰。配信で安価に移動せず見られる。それが一つのビジネスモデルになるだろう。ただ、私の肌感覚では、ライブ配信は長く持たない。それは本当のライブを私たちは知っているからだし、配信に対するうまみが少なすぎるからだ。その場でシェアする空間は確かに21世紀の新しい発明ではあるが、それがなんの付加価値もなく成立することはない。客との一体感で盛り上げてきたバンドたちはパソコンの向こう側の人たちを満足させられるだろうか。むしろその空気が伝わらず、楽曲のみが届き、よりシビアな目線で彼らを評価せざるを得なくなる。涼しいところで座って黙ってみていると我に返り、新曲をいつものノリで楽しめないなんてこともあるかもしれない。化けの皮がはがれた彼らはますますトリッキーなことをする。ファンはそれでもついてくるかもしれないが、新規を取り込むきっかけにはならない。むしろ閉鎖的な(つまり過剰なファンのためのファンサービスの増加)空間が形成されて、新規がイマイチのめりこめない状況にもなりかねない。
その調整は今後の必須課題だろう。四星球がソーシャルディスタンスのライブをおこなって話題になったが、あのゴールデンボンバーはいまだに慎重な姿勢を取っているのも示唆的だ。


時間は物事を解決してくれるというが、我々とミュージシャンにはそのような時間はない。いますぐにでも行動を起こし、今までのスタイルを捨て、あたらしい形を確立せねばならない。否が応でもそれに適応していくのがこの10年なのかもしれない。